ふじわらのきよかわ【藤原清河】
奈良時代の公卿。房前 (ふささき) の四男。遣唐大使として渡唐。帰国の際、暴風にあい安南に漂着。再び唐に戻り、唐で没した。生没年未詳。
ふじわらのきよすけ【藤原清輔】
[1104〜1177]平安後期の歌人・歌学者。顕輔 (あきすけ) の子。六条家の中心人物で、俊成と並び称された。二条天皇の命で、「続詞花集」を撰。著「奥義抄」「袋草紙」、家集「清輔朝臣集」など。
ふじわらのきよひら【藤原清衡】
[1056〜1128]平安後期の陸奥 (むつ) の豪族。後三年の役に源義家と結んで清原氏を滅ぼし、陸奥六郡を領有。平泉に奥州藤原氏の基礎を築き、中尊寺を建立。清原清衡。
ふじわらのきんとう【藤原公任】
[966〜1041]平安中期の歌人・歌学者。通称、四条大納言。故実に詳しく、また、漢詩・和歌・音楽にすぐれた。「和漢朗詠集」「拾遺抄」「三十六人撰」などを撰。歌論書「新撰髄脳」「和歌九品」、家集「公任集」、有職故実書「北山抄」など。
ふじわらのくすこ【藤原薬子】
[?〜810]平安初期の女官。種継の娘。娘が平城天皇の妃だったことから天皇の寵愛を受けたが、天皇譲位後、兄仲成らと嵯峨天皇を廃して平城上皇の復位を企て、失敗して自殺。→薬子の変
ふじわらのこうぜい【藤原行成】
⇒ふじわらのゆきなり
ふじわらのこれただ【藤原伊尹】
[924〜972]平安中期の公卿・歌人。名は「これまさ」とも。師輔 (もろすけ) の長男。「後撰和歌集」撰者の一人。和歌所別当となり、参議・右大臣を歴任。のち摂政となり、一条摂政と称された。諡号 (しごう) は謙徳公。歌集に「一条摂政御集」がある。
ふじわらのこれちか【藤原伊周】
[974〜1010]平安中期の公卿。道隆の二男。父の死後、叔父の道兼・道長と権勢を争い、従者が花山法皇に矢を射かけたことなどにより大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷。のち許されて帰京し、大臣に準じる地位を与えられ、世に儀同三司と称された。
ふじわらのこれふさ【藤原伊房】
[1030〜1096]平安中期の公卿・書家。行成の孫。世尊寺流書道に巧みで、「北山抄」「十五番歌合」などの筆者といわれる。
ふじわらのこれまさ【藤原伊尹】
⇒ふじわらのこれただ