・・・「これは御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹った覚はないようです」「それなら宜しゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・以上十九箇条の結論、論じ去て深切なりと言う可し。我輩固より記者の誠意を非難するには非ざれども、女大学の著述以後二百余年の今日に於て、人智の進歩、時勢の変遷を視察し、既往の事実に徴して将来の幸福を求めんとするときは、如何にしても古人の説に服従・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・御親切ついでに、どうぞあなたの方からお尋なすって下さいまし。あなたのお住いへ伺うことは憚りますのですから。わたくしはただいまから頼んでおいて Rue Romaine 十八番地に落ち着きますことにいたしましょう。 わたくしはこんなに手短に・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・六尺の深さならまだしもであるが、友達が親切にも九尺でなければならぬというので、九尺に掘って呉れたのはいい迷惑だ。九尺の土の重さを受けておるというのは甚だ苦しいわけだから此上に大きな石塔なんどを据えられては堪まらぬ。石塔は無しにしてくれとかね・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。「ええ、いいんです。」ジョバン・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・旗は、よろこびと幸福とへ向って生活の軌道を切りかえる親切と勇気にみちた信号合図の旗として、かざされ、振られなければならない。嬉々とした人生の建設のために構図し、労作する、その高き旗じるしとして、婦人の大集団の上に、勇敢に、はためかなければな・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・秀麿がマルセイユから上陸して、ベルリンへ行く途中で、二三日パリイに滞在していた時には、親切に世話を焼いて、シャン・ゼリゼェの散歩やら、テアアトル・フランセェとジムナアズ・ドラマチックとの芝居見物やら、時間を吝まずに案内をして歩いて、ベルリン・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・皆さんが御親切になすって下すって難有うございます。」ユリアはまだその上にこう云った。「警部さん。あなたはこうなった方が、かえってよいかも知れないとおっしゃいましたが、そうかも知れませんわね。あの人は亡くなったのだから、もういたし方がございま・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ フィンクは思わず八の字髭をひねって、親切らしい風をして暗い隅の方へ向いた。「奥さん。あなたもやはりあちらへ、ニッツアへ御旅行ですか。」「いいえ。わたくしは国へ帰りますの。」「まだ三月ではありませんか。独逸はまだひどく寒いの・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・ マアどれほど親切で、美しくッて、好い方だったか、僕は話せない位ですよ。話せればあなただってどんなに好におなんなさるか! 非常に僕を可愛がって下すったことを思い出してさえ、なんだか涙が眼に一杯になります。モウ先のことだけれど、きのうきょ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫