とよとみひでつぐ【豊臣秀次】
[1568〜1595]安土桃山時代の武将。秀吉の甥 (おい) 。天正19年(1591)秀吉の養子となり、ついで関白となった。秀頼誕生後は秀吉の寵を失い、高野山に追放されて、自殺を命ぜられた。秀吉との関係悪化に伴い、凶暴な行為が多かったので、殺生関白とよばれた。
とよとみひでよし【豊臣秀吉】
[1536〜1598]安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、日吉丸。初名、木下藤吉郎。織田信長に仕え、戦功をたて、羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。
とよとみひでより【豊臣秀頼】
[1593〜1615]安土桃山時代の武将。秀吉の次男。6歳で家督を相続、前田利家に養育されたが、関ヶ原の戦いののち、摂津・河内 (かわち) ・和泉 (いずみ) 60余万石の大名におとされた。のち、徳川秀忠の娘千姫と結婚したが、大坂夏の陣で敗れ、母の淀君とともに自殺。