はせがわかずお【長谷川一夫】
[1908〜1984]映画俳優。京都の生まれ。林長丸・林長二郎の芸名を経て本名を名のる。初世中村鴈治郎の門人となり、関西歌舞伎で活躍。のち、映画界に入り、主に時代劇に出演。没後、国民栄誉賞受賞。主演作「雪之丞変化」「お夏清十郎」「源氏物語」など。
はせがわかずひこ【長谷川和彦】
[1946〜 ]映画監督。広島の生まれ。中上健次の小説「蛇淫 (じゃいん) 」を映画化した「青春の殺人者」で監督デビュー、多くの映画賞を受賞し注目を集める。2作目「太陽を盗んだ男」発表以降は監督業から遠ざかるが、後続の映画人に大きな影響を与え続けている。
はせがわきよし【長谷川潔】
[1891〜1980]版画家。神奈川の生まれ。パリで活躍。古い銅版技法を復活させて独自の様式を築き、国際的に高い評価を得た。
はせがわさぶろう【長谷川三郎】
[1906〜1957]洋画家。山口の生まれ。日本における抽象絵画の先駆者の一人で、自由美術家協会の設立に参加。また、海外への日本の前衛美術の紹介にも努めた。
はせがわしぐれ【長谷川時雨】
[1879〜1941]劇作家・小説家。東京の生まれ。本名、ヤス。三上於菟吉 (みかみおときち) の妻。雑誌「女人芸術」を創刊し、女流作家の団結と地位向上に努めた。戯曲「花王丸」「さくら吹雪」など。
はせがわしん【長谷川伸】
[1884〜1963]小説家・劇作家。神奈川の生まれ。本名、伸二郎。新聞記者を経て、大衆小説や時代物の戯曲を多数発表、股旅物 (またたびもの) の創始者といわれる。小説「夜もすがら検校 (けんぎょう) 」、戯曲「一本刀土俵入」「瞼 (まぶた) の母」「沓掛 (くつかけ) 時次郎」など。
はせがわせんし【長谷川千四】
[1689〜1733]江戸中期の浄瑠璃作者。大和の人。長谷寺の僧侶の出。竹本座の座付きで、文耕堂・竹田出雲との合作が多い。作「鬼一法眼三略巻 (きいちほうげんさんりゃくのまき) 」「壇浦兜軍記 (だんのうらかぶとぐんき) 」など。
はせがわてんけい【長谷川天渓】
[1876〜1940]評論家・英文学者。新潟の生まれ。本名、誠也。雑誌「太陽」の編集に従事。自然主義の論客として脚光を浴びた。評論集「自然主義」など。
はせがわとうはく【長谷川等伯】
[1539〜1610]桃山時代の画家。能登の人。名は又四郎、のち帯刀 (たてわき) 。初め信春と号して仏画を描いたが、のち京都に出て諸派の画法を学び、名も等伯と改め、日本独自の水墨画様式を確立。また、華麗な金碧 (きんぺき) 障壁画も手がけ、狩野派に並ぶ長谷川派を形成した。作「松林図屏風」など。
はせがわとしゆき【長谷川利行】
[1891〜1940]洋画家。京都の生まれ。フォービスム風の筆致と色調による独自の詩情で知られる。