出典:青空文庫
・・・その頃であった、或る若い文人が椿岳を訪ねると、椿岳は開口一番「能く来なましたネエ」と。禅の造詣が相当に深いこの若い文人も椿岳の「能く来なましたネエ」には老禅匠の一喝よりもタジタジとなった。 椿岳の畸行は書立てれば殆んど際限がないくらい朝・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
ある時、その頃金港堂の『都の花』の主筆をしていた山田美妙に会うと、開口一番「エライ人が出ましたよ!」と破顔した。 ドウいう人かと訊くと、それより数日前、突然依田学海翁を尋ねて来た書生があって、小説を作ったから序文を書いてくれといっ・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・我輩はコックネーでは毎度閉口するが、ベッジパードンのコックネーに至っては閉口を通り過してもう一遍閉口するまで少々草臥るから開口一番ちょっと休まなければやり切れないくらいのものだ。我輩がここに下宿したてにはしばしばペンの襲撃を蒙って恐縮したの・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ために、ひどい無理をしている。「一口で日本を巧妙に説明しなければならぬ危い橋を渡る」ために、開口一番「日本には地震が何より国家の外敵だ」と云い、それが「他のどの国にもない自然を何より重要視する秩序を心理の間に成長させた」それ故「ヨーロッパの・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」