・・・新しいメンバーがはいってくると、簡単な自己紹介があった。――ある時、四十位の女の人が新しくはいってきた。班の責任者が、「中山さんのお母さんです。中山さんはとう/\今度市ヶ谷に廻ってしまったんです。」 といって、紹介した。 中山の・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・彼女は六十の歳になって浮浪を始めたような自己の姿を胸に描かずにはいられなかった。しかし自分の長い結婚生活が結局女の破産に終ったとは考えたくなかった。小山から縁談があって嫁いで来た若い娘の日から、すくなくとも彼女の力に出来るだけのことは為たと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あるいは百年千年の後には、その方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の将来における自己の生というものが威嚇される。単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり子と拡がった場合には、いよいよそれが心苦しくなる。つ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さか・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・会社は病気ではなく私傷による事故だからといって、十一月は給料をくれませんでした。また会社の人達は、ぼくをまるで無頼漢扱いにして皮肉をいう。まア止めましょう。いっそ、桜の花の刺青をしようかと思って居ります。私は子供じゃないんだ。所で、あなたに・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・忽然、かれはその前に驚くべき長大なる自己の影を見た。肩の銃の影は遠い野の草の上にあった。かれは急に深い悲哀に打たれた。 草叢には虫の声がする。故郷の野で聞く虫の声とは似もつかぬ。この似つかぬことと広い野原とがなんとなくその胸を痛めた。一・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ しかし案内者や先達の中には、自己のオーソリティに対する信念から割り出された親切から個々の旅行者の自由な観照を抑制する者もないとは言われない。旅行者が特別な興味をもつ対象の前にしばらく歩を止めようとするのを、そんなものはつまらないから見・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋より・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく自己を擲ったごとく、我々の世界もいつか王者その冠を投出し、富豪その金庫を投出し、戦士その剣を投出し、智愚強弱一切の差別を忘れて、青天白日の下に抱擁握手抃舞する刹那は・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・かつてそれほどに、まだ自己を知らなかった得意の時分に、先生は長たらしい小説を書いて、その一節に三味線と西洋音楽の比較論なぞを試みた事を思返す。世の中には古社寺保存の名目の下に、古社寺の建築を修繕するのではなく、かえってこれを破壊もしくは俗化・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫