・・・其原因様々なる中にも、少小の時より教育の方針を誤りて自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理を等閑にし、徒に浮華に流れて虚文を弄ぶが如き、自から禍源の大なるものと言う可し。例えば学校の女生徒が少しく字を知り又洋書など解し得ると同時に、所謂詠歌・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告してその著書も少なからず、これがために当・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・即ち自身の他に擢んでて他人の得て我に及ばざる所のものを恃みにするの謂にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資たるべきものなれども、就中私徳の盛んにしていわゆる屋漏に恥じざるの一義は最・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・「芸術家の方も自重しませんと……。終戦後のわれわれの恥を云えば、作家の態度が、一種のセンセーショナリスムをねらうみたいになってしまってね。人の魂に小さな声で囁きかけてゆくのでは駄目で、往来の真ン中で、わあッと大声をあげる式でないと、声が・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・火野葦平が同人雑誌の活溌化にふれて語っている自身の、陰忍自重四年の間待った甲斐あるこんにちのよろこびは、いかにも意味がふかい。首相は朝鮮での事件を、「天佑である」とよろこんでいる。そのこころに通じるものがあるようで、火野葦平、林房雄、今日出・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・て、その下に安倍さんや何か固まって話してね、お互い同士は友達ですから、こういうことはどうなんだろうね、たとえば天皇はこういうときどういう言葉を使われるのだろうね、というようなことをお互いの間でいうと、侍従か何かがそこにいて、天皇に適宜にとり・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・嫡子六丸は六年前に元服して将軍家から光の字を賜わり、光貞と名のって、従四位下侍従兼肥後守にせられている。今年十七歳である。江戸参勤中で遠江国浜松まで帰ったが、訃音を聞いて引き返した。光貞はのち名を光尚と改めた。二男鶴千代は小さいときから立田・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それで今のような、社会民政党の跋扈している時代になっても、ウィルヘルム第二世は護衛兵も連れずに、侍従武官と自動車に相乗をして、ぷっぷと喇叭を吹かせてベルリン中を駈け歩いて、出し抜に展覧会を見物しに行ったり、店へ買物をしに行ったりすることが出・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・これは祖先以来の出入先で、本郷五丁目の加賀中将家、桜田堀通の上杉侍従家、桜田霞が関の松平少将家の三家がその主なるものであった。加賀の前田は金沢、上杉は米沢、浅野松平は広島の城主である。 文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命して・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・膳部を引く頃に、大沢侍従、永井右近進、城織部の三人が、大御所のお使として出向いて来て、上の三人に具足三領、太刀三振、白銀三百枚、次の三人金僉知らに刀三腰、白銀百五十枚、上官二十六人に白銀二百枚、中官以下に鳥目五百貫を引物として贈った。 ・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫