出典:青空文庫
・・・ 食不足で、ひくひく煩っていた男の児が七転八倒します。私は方々の医師へ駆附けた。が、一人も来ません。お雪さんが、抱いたり、擦ったり、半狂乱でいる処へ、右の、ばらりざんと敗北した落武者が這込んで来た始末で……その悲惨さといったらありません・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・さあ、七顛八倒、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺り廻る……炎が搦んで、青蜥蜴ののたうつようだ。 私あ夢中で逃出した。――突然見附へ駈着けて、火の見へ駈上ろうと思ったがね、まだ田町から火事も出ずさ。 何しろ馬鹿だね、馬鹿も通越して・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ と込上げ揉立て、真赤になった、七顛八倒の息継に、つぎ冷しの茶を取って、がぶりと遣ると、「わッ。」と咽せて、灰吹を掴んだが間に合わず、火入の灰へぷッと吐くと、むらむらと灰かぐら。「ああ、あの児、障子を一枚開けていな。」 と黒・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私たちなら蜂一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、敵の大部隊を全部ふところにいれて、これでよし、と言っている。もみつぶしてしまうつもりであったろうか。天王山は諸所方々に移転した。何だってまた天・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・きの一挙手一投足、ことごとくぎこちなく視線のやりば首の位置すべてに困じ果てきりきり舞いをはじめるような、そんな工合いの気持ちのことだと思うのですが、もしそれだったら、自意識過剰というものは、実にもう、七転八倒の苦しみであって、馬場みたいにあ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 食糧問題についても、私たちは随分長いこと、分不相応な苦痛と努力と七転八倒的なやりくりを経験して来た。多くの人々が、この問題の本質上、今日ではもう個人的解決の時期を全くすぎていて、これは人民的規模において、男女共通に、共通の方法に参加し・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・二十世紀に入ってから世界の文学は、絶えず自身を新しく生れかわらそうとして七転八倒しつづけて来たが、その意味では第一次大戦後におこったシュール・リアリズムさえも、古い資本主義社会の機能のもとで苦しむ小市民の魂の反抗の影絵でしかなかった。社会主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」