出典:gooニュース
地上戦があった伊江島での戦闘「沖縄戦の縮図」 日本軍は住民を根こそぎ動員 島に残った住民の半数死亡
伊江島の戦争は「根こそぎ動員」や住民の「集団自決」があり、「沖縄戦の縮図」ともいわれている。(社会部・當銘悠) (写図説明)伊江島への侵攻。上陸日早朝に米軍艦ウェストバージニア(B-48)から撮影=1945年4月16日(県公文書館所蔵)
80年前の沖縄戦で8人が犠牲になった伊江島灯台で慰霊祭 遺族が恒久平和を願う
80年前の沖縄戦でアメリカ軍の空襲により8人が犠牲になった伊江島灯台で21日、慰霊祭が執り行われ、遺族や関係者が恒久平和を願いました。伊江島灯台は1945年4月21日、アメリカ軍の激しい空襲により、隣接していた官舎ごと破壊され職員3人とその家族あわせて8人が犠牲になりました。
「沖縄戦の縮図」伊江島で平和祈願祭 デニー知事も出席 芳魂之塔 戦後80年
1945年の沖縄戦で、伊江島に上陸した米軍と島に配備された日本軍の戦闘が終結してから80年を迎えた21日、伊江村西江前の芳魂之塔(ほうこんのとう)では、戦没者を慰霊する平和祈願祭が開かれた。島内外から遺族が訪れたほか、名城政英村長や玉城デニー知事なども出席し、黙とうをささげた。 伊江村では1945年4月16日に米軍が上陸。
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