《(ギリシャ)dialektikē/(ドイツ)Dialektik》対話・弁論の技術の意。ソクラテスやプラトンでは、事物の本質を概念的に把握するための方法とされ、アリストテレスでは、真の命題からの論証的推理から区別され、確からしい前提からの推論を意味した。カントは、理性が不可避的に陥る錯覚として、仮象の論理の意に用いた。ヘーゲルは、思考と存在を貫く運動・発展の論理ととらえたが、その本質は思考(概念)の自己展開にある。概念が自己内に含む矛盾を止揚して高次の段階へ至るという論理構造は、一般には正・反・合、定立・反定立・総合という三段階で説明されている。また、マルクスやエンゲルスは、唯物論の立場から、自然・社会・歴史の運動・発展の論理ととらえた。
出典:青空文庫
・・・話した言葉である。 弁証法の功績。――所詮何ものも莫迦げていると云・・・ 芥川竜之介「侏儒の言葉」
・・・レーニンの弁証法に、ブハーリンの史的唯物論に、もとより真理のある事・・・ 小川未明「純情主義を想う」
・・・しとして、ヘーゲルの弁証法を唯物弁証法に媒介した意味で科学的社会主・・・ 倉田百三「学生と教養」