みつくり‐げんぱち【箕作元八】
[1862〜1919]歴史学者。岡山の生まれ。菊池大麓(だいろく)の弟。動物学を修めたが、のち歴史学に転じ、西洋史を研究。東大教授。著「西洋史講話」「フランス大革命史」。
みつくり‐げんぽ【箕作阮甫】
[1799〜1863]江戸末期の蘭医。美作(みまさか)の人。名は虔儒(けんじゅ)。江戸で宇田川榛斎に蘭学を学び、幕府の天文方翻訳掛、のち蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授となった。種痘所の開設に...
みつくり‐りんしょう【箕作麟祥】
[1846〜1897]法学者。江戸の生まれ。阮甫(げんぽ)の孫。フランスに留学。帰国後、明治政府のもとで法律の起草と制定に尽力し、司法次官・行政裁判所長官などを歴任。
みつざき‐けんぎょう【光崎検校】
[?〜1853ころ]江戸後期の地歌・箏曲(そうきょく)家。京都の人。箏曲の復興運動の先駆者。三味線とは合奏せず、箏だけで合奏・独奏する形式を発展させた。「五段砧」「秋風の曲」などを作曲。
みつただ【光忠】
鎌倉中期、備前国長船(おさふね)の刀工。長船派の祖。作風は豪壮・華麗で、刃文は丁子(ちょうじ)。その作に織田信長が愛用した「燭台切光忠」などがある。生没年未詳。
みつたに‐くにしろう【満谷国四郎】
[1874〜1936]洋画家。岡山の生まれ。太平洋画会の設立に参加。写実的な画風から出発し、晩年には平明な色面構成の装飾的画風を確立した。
みつよ【光世】
平安末期、筑後の刀工。典太(てんだ)と称す。法名は元真。三池に住んだので、その一派を三池派という。作風は豪壮で、室町将軍家以来の重宝である「大典太」などの作がある。生没年未詳。
みと‐こうもん【水戸黄門】
《中納言(唐名が黄門)であったところから》徳川光圀(とくがわみつくに)の通称。 村上元三の歴史小説。の生涯を描く。昭和32年(1957)から昭和37年(1962)にかけて、4部8巻を刊行。
みとみ‐くちは【三富朽葉】
[1889〜1917]詩人。名は「きゅうよう」とも。長崎の生まれ。本名、義臣。フランス近代詩を研究、象徴詩や訳詩を発表した。犬吠埼(いぬぼうさき)で溺死。「三富朽葉詩集」がある。
みと‐みつくに【水戸光圀】
⇒徳川光圀