くまがい‐なおざね【熊谷直実】
[1141〜1208]鎌倉初期の武将。武蔵国熊谷の人。はじめ平知盛に仕えたが、のち源頼朝に仕え、一ノ谷の戦いで平敦盛を討った話は有名。建久3年(1192)所領争いに敗れ、自ら髪を切って法然の門に...
こかんや‐ぜんう【呼韓邪単于】
[?〜前31ころ]匈奴(きょうど)の単于。兄の郅支単于(しつしぜんう)と争い、東匈奴を率いて漢にくだった。匈奴との戦いに苦しんでいた漢はこれを受け入れ、妃として王昭君を与えた。
ごしらかわ‐てんのう【後白河天皇】
[1127〜1192]第77代天皇。在位1155〜1158。鳥羽天皇の第4皇子。名は雅仁。法名、行真。二条天皇に譲位後、5代三十余年にわたって院政を行い、王朝権力の復興・強化に専念した。源平の争...
ささがわ‐の‐しげぞう【笹川繁蔵】
[1810〜1847]江戸後期の博徒(ばくと)。下総(しもうさ)国香取郡の人。生家の笹川河岸付近を縄張りとした。飯岡助五郎と勢力争いをして大利根川原で決闘、のちに暗殺された。講談・浪曲「天保水滸...
しば‐よしかど【斯波義廉】
室町中期の武将。室町幕府の管領。斯波氏を継いで、越前・尾張・遠江(とおとうみ)の守護職となった。のち、義敏と家督を争い、応仁の乱の一因を作った。生没年未詳。
しば‐よしとし【斯波義敏】
[1435〜1508]室町中期の武将。斯波義健(しばよしたけ)の没後その養子となったが、重臣の朝倉・織田らと合わず、家督を退けられた。のち、義廉(よしかど)と家督を争い、応仁の乱の一因を作った。
すとく‐てんのう【崇徳天皇】
[1119〜1164]第75代天皇。在位1123〜1142。鳥羽天皇の第1皇子。名は顕仁(あきひと)。鳥羽法皇の死後、後白河天皇と争い、保元の乱に敗れて讃岐(さぬき)に流された。讃岐院。
とがし‐まさちか【富樫政親】
[1455〜1488]室町中期の武将。加賀の人。応仁の乱で細川氏の東軍に属し、蓮如の後援で西軍についた弟幸千代丸を退けて加賀を支配した。のち、本願寺門徒の一向一揆と争い、高尾城に敗死。
にった‐ただつね【仁田忠常】
[?〜1203]鎌倉初期の武将。伊豆の人。通称、仁田四郎(にたんのしろう)。源頼朝に仕え、範頼に従って平氏を追討。また、富士の巻狩りで曽我十郎祐成を討った。のち、将軍頼家と北条時政の争いに巻き込...
はまだ‐やひょうえ【浜田弥兵衛】
江戸初期の貿易商。長崎の人。末次平蔵の朱印船の船長。貿易上の争いから、武装日本人多数を伴って台湾のオランダ人根拠地に渡り、このため日蘭貿易は数年間中断した。生没年未詳。