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北畠親房の解説 - 小学館 デジタル大辞泉

[1293〜1354]南北朝時代の公卿・武将後醍醐天皇の皇子世良 (ときなが) 親王養育にあたったが、その死によって出家。宗玄、のち、覚空と号した。建武の中興により、再び出仕顕家とともに義良 (のりなが) 親王を奉じて東国下向を企て、常陸 (ひたち) に上陸。結城親朝らを誘致しようとしたが成功せず、のち吉野に帰った。以後南朝方の政治軍事の中心人物として活躍。学識深く、著書に「神皇正統記 (じんのうしょうとうき) 」「職原鈔 (しょくげんしょう) 」など。北畠准后。

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