ふじわら‐の‐ていし【藤原定子】
[976〜1001]一条天皇の皇后。道隆の娘。正暦元年(990)入内して女御、のち中宮。長保2年(1000)藤原彰子が中宮に立ったため皇后となり一代二后の例を開いた。
ふじわら‐の‐なかまろ【藤原仲麻呂】
[706〜764]奈良時代の公卿。武智麻呂(むちまろ)の二男。橘奈良麻呂の乱を未然に抑えて淳仁天皇を擁立し、恵美押勝(えみのおしかつ)の名を受け、太師(太政大臣)となって権勢を振るった。のち、孝...
ふじわら‐の‐ながて【藤原永手】
[714〜771]奈良時代の公卿。房前(ふささき)の子。称徳天皇が没すると、藤原百川(ももかわ)らとはかって光仁天皇を擁立し、道鏡を追放した。
ふじわら‐の‐のぶふさ【藤原宣房】
[1258〜?]鎌倉末期の公卿。別名、万里小路(までのこうじ)宣房。後醍醐天皇の厚遇を受け、吉田定房・北畠親房とともに、後(のち)の三房(さんぼう)と称された。のち出家。日記「万一記(まんいつき...
ふじわら‐の‐ふささき【藤原房前】
[681〜737]奈良前期の公卿。不比等(ふひと)の二男。北家の祖。元明上皇の遺詔により内臣(うちつおみ)となる。聖武天皇の即位後は参議にとどまった。
ふじわら‐の‐ふじふさ【藤原藤房】
[1295〜?]南北朝時代の後醍醐天皇の側近。宣房(のぶふさ)の子。元弘の変で天皇を奉じて笠置山に逃れたが、捕らえられて常陸(ひたち)へ配流。のち、建武政府の恩賞方筆頭となったが、行賞の不公正な...
ふじわら‐の‐ふひと【藤原不比等】
[659〜720]奈良初期の公卿。鎌足(かまたり)の二男。諡号(しごう)、文忠公・淡海公。右大臣。大宝律令・養老律令の編纂(へんさん)に参加。娘の宮子は文武天皇夫人、光明子は聖武天皇皇后となり、...
ふじわら‐の‐ふゆつぐ【藤原冬嗣】
[775〜826]平安初期の公卿。嵯峨天皇の親任を得、蔵人所(くろうどどころ)設置により蔵人頭となり、以後要職を歴任。「弘仁格式」「内裏式」などの撰修を行い、一族子弟のために勧学院を設けた。閑院...
ふじわら‐の‐みちたか【藤原道隆】
[953〜995]平安中期の公卿。兼家の長男。父の死後、弟道兼を退けて、摂政・関白となった。娘定子は一条天皇の皇后。中関白(なかのかんぱく)。
ふじわら‐の‐みちとし【藤原通俊】
[1047〜1099]平安中・後期の歌人。白河天皇の命により、「後拾遺集」を撰進。歌は「後拾遺集」などにみえる。