うらがみ‐しゅんきん【浦上春琴】
[1779〜1846]江戸後期の南画家。玉堂の長子。名は選。諸国遍歴ののち、京都に住み、頼山陽らと交わる。細緻鮮麗な山水花鳥を得意とした。
うらまつ‐こぜん【裏松固禅】
[1736〜1804]江戸後期の有職(ゆうそく)故実家。京都の人。名は光世。固禅は法号。宝暦事件に連座し永蟄居(えいちっきょ)、以後故実研究に専念。天明8年(1788)内裏焼失の際、その研究が採...
おおくぼ‐ただちか【大久保忠隣】
[1553〜1628]江戸初期の譜代大名。小田原6万5千石の領主。はじめ徳川家康の近習となり、のち秀忠付の家老。秀忠将軍就任後その老中をつとめ権勢を振るうが、讒訴(ざんそ)によって改易。
おおくぼ‐ながやす【大久保長安】
[1545〜1613]江戸初期の金山奉行。甲斐の人。徳川家康に仕え、石見(いわみ)銀山・佐渡金山・伊豆金山を開発。その死後、不正があったとして遺子全員が切腹を命じられた。
おおはし‐とつあん【大橋訥庵】
[1816〜1862]江戸末期の儒学者。江戸の人。日本橋の豪商大橋家の養子。佐藤一斎に学び、朱子学を唱えて、攘夷(じょうい)を主張した。老中安藤信正襲撃を計画して投獄され、獄死。著「闢邪小言(へ...
おおはら‐しげとみ【大原重徳】
[1801〜1879]江戸末期の公卿。尊王論を唱え、安政の大獄に連座。幕政改革に尽力。維新後は参与。
おおはら‐ゆうがく【大原幽学】
[1797〜1858]江戸末期の農村指導者。神道・仏教・儒教を学び、下総(しもうさ)国香取郡長部村で村民を指導して村の建て直しを図ったが、幕府の圧力をうけ自殺。彼がつくらせた土地共有組織「先祖株...
おおまえだ‐の‐えいごろう【大前田英五郎】
[1793〜1874]江戸末期の博徒(ばくと)。上野(こうずけ)国勢多郡宮城村大前田(現前橋市)の人。15歳で地元の博徒を殺して逃走。のちに名古屋を中心に勢力をもった。
おか‐けんかい【岡研介】
[1799〜1839]江戸後期の医師。周防(すおう)の人。名は精。漢学を広瀬淡窓に、蘭学・医学をシーボルトに学び、鳴滝塾頭となる。日本に初めて生理学を紹介。
おかだ‐はんこう【岡田半江】
[1782〜1846]江戸後期の画家。大坂の人。名は粛、字(あざな)は子羽、通称、宇左衛門。父の米山人に儒学と画を学び、文人画家として名高い。