さえき‐じょういん【佐伯定胤】
[1867〜1952]僧。奈良の生まれ。法隆寺住職。法相宗管長をしたが、のち、法隆寺を法相宗から分離し聖徳宗の本山とした。
しゃ‐いん【車胤】
中国、東晋の政治家。南平(湖北省)の人。字(あざな)は武子。家が貧しかったため油を買えず、蛍を集めてその光で読書したという。孫康とともに「蛍雪」の故事で知られる。生没年未詳。
すずき‐しげたね【鈴木重胤】
[1812〜1863]江戸末期の国学者。淡路の人。号、橿廼家(かしのや)。大国隆正に学ぶ。平田篤胤(ひらたあつたね)没後の門人。諸国を遊歴して神道を説き、江戸で暗殺された。著「延喜式祝詞講義」「...
ちょう‐きょういん【趙匡胤】
[927〜976]中国、宋王朝の創始者。在位960〜976。涿(たく)州(河北省)の人。廟号(びょうごう)、太祖。後周の禁軍の総司令官であったが、帝位について国号を宋と改め中国を統一。文治主義に...
ひらた‐あつたね【平田篤胤】
[1776〜1843]江戸後期の国学者。国学の四大人の一。秋田藩士。旧姓、大和田。号、気吹之舎(いぶきのや)・真菅屋。通称、大角(大壑)。脱藩して本居宣長没後の門人と自称。宣長の古道精神を拡大強...
ひらた‐かねたね【平田銕胤】
[1799〜1880]幕末・明治初期の国学者・神道家。伊予の人。旧名、碧川篤実。平田篤胤の門人で、のち養子。維新後、侍講・大教正などを歴任。養父の学を祖述、整理補修した。著「祝詞正訓」。
よししげ‐の‐やすたね【慶滋保胤】
[?〜1002]平安中期の文人。本姓、賀茂。字(あざな)は茂能。法名、寂心。菅原文時に師事、漢詩文にすぐれ、源順(みなもとのしたごう)と親交があった。著「池亭記」「日本往生極楽記」など。