つねなが‐しんのう【恒良親王】
[1324〜1338]後醍醐天皇の第6皇子。名は「つねよし」とも。建武元年(1334)皇太子となり、建武政府が崩壊して同3年新田義貞らとともに越前金ヶ崎城に拠ったが斯波(しば)氏らとの戦いに敗れ...
なりなが‐しんのう【成良親王】
[1326〜1344]後醍醐天皇の皇子。名は「なりよし」とも。建武の中興後、鎌倉に下向。上野(こうずけ)太守となり、続いて征夷大将軍となった。北朝の光明天皇の即位にあたり皇太子に立てられたが、ま...
なわ‐ながとし【名和長年】
[?〜1336]南北朝時代の武将。伯耆(ほうき)の人。前名、長高。元弘3=正慶2年(1333)後醍醐天皇が隠岐(おき)を脱出するとこれを船上山(せんじょうざん)に迎えて鎌倉幕府軍と敵対。建武政権...
にじょう‐よしもと【二条良基】
[1320〜1388]南北朝時代の公卿・歌人・連歌師。初め後醍醐天皇に仕え、のち北朝の天皇に仕えた。和歌は頓阿(とんあ)に学び、連歌は救済(ぐさい)を師としてともに「菟玖波(つくば)集」を撰し、...
はなぞの‐てんのう【花園天皇】
[1297〜1348]第95代天皇。在位1308〜1318。伏見天皇の第3皇子。名は富仁。両統迭立(てつりつ)時代に持明院統にあり、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位。和漢の学に通じ、「風雅和歌集」の撰...
ひの‐すけとも【日野資朝】
[1290〜1332]鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇に登用され、日野俊基らと討幕計画を進めたが、六波羅探題に探知されて、佐渡に配流(正中の変)。のち、佐渡で斬られた。
ひの‐としもと【日野俊基】
[?〜1332]鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇に登用され、日野資朝らと討幕計画に参加したが、六波羅探題に探知されて、捕らえられた(正中の変)。のち、許されたが、元弘の変で再び捕らえられて鎌倉で斬られた。
ふじわら‐の‐のぶふさ【藤原宣房】
[1258〜?]鎌倉末期の公卿。別名、万里小路(までのこうじ)宣房。後醍醐天皇の厚遇を受け、吉田定房・北畠親房とともに、後(のち)の三房(さんぼう)と称された。のち出家。日記「万一記(まんいつき...
ふじわら‐の‐ふじふさ【藤原藤房】
[1295〜?]南北朝時代の後醍醐天皇の側近。宣房(のぶふさ)の子。元弘の変で天皇を奉じて笠置山に逃れたが、捕らえられて常陸(ひたち)へ配流。のち、建武政府の恩賞方筆頭となったが、行賞の不公正な...
みなもと‐の‐たかあきら【源高明】
[914〜983]平安中期の公卿。醍醐天皇の皇子。通称、西宮左大臣。源の姓を賜り、臣籍に降下。安和(あんな)の変で大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。学を好み、有職故実に詳しかった。著「西宮記」。