・・・だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見る・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・説を一篇書こう、そう思って居たのでありましたが、心ならずも三人の友人を招待してしまったので、私は、とにかく三島迄の切符を四枚買い、自信あり気に友人達を汽車に乗せたものの、さてこんなに大勢で佐吉さんの小さい酒店に御厄介になっていいものかどうか・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・諸外国の文芸の発祥地と言われているサロンと、日本のサロンとは、どんな根本的な差異があるか。皇室または王室と直接のつながりのあるサロンと、企業家または官吏につながっているサロンと、どう違うか。君たちのサロンは、猿芝居だというのはどういうわけか・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・そこには、つながりがありながら、また本質的な差異のある、別箇の世界が展開せられている筈である。 私の夢は現実とつながり、現実は夢とつながっているとはいうものの、その空気が、やはり全く違っている。夢の国で流した涙がこの現実につながり、やは・・・ 太宰治 「フォスフォレッスセンス」
・・・一毛に於いて差異はあっても、九牛に於いては、リアルであるというわけなのだ。もっとも私は、あの短篇小説に於いて、兄妹五人と、それから優しく賢明な御母堂に就いてだけ書いたばかりで、祖父ならびに祖母の事は、作品構成の都合上、無礼千万にも割愛してし・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 私とO君とは、その小川屋で、さいの煮つけで酒を飲んだ。 学校の校長が、私が話を聞きに行ったのを探偵にでも来たのかと思って、非常に恐れていたのも滑稽であった。 それから私は一度小林君の親たちの住んでいる家を訪ねた。やはり、小林君・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・これは無論笑談であるが彼の真意は男女の特長の差異を認めるにあるらしい。モスコフスキーはこれを敷衍して「婦人は微分学を創成する事は出来なかったが、ライプニッツを創造した。純粋理性批判は産めないが、カントを産む事が出来る」と云っている。 話・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ とにかく、わずかな季節の差違で、去年はなかったものが、今突然目の前に出現したように思われるのであった。不注意なわれわれ素人には花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と扁葉樹との二色ぐらいか、せいぜいで十種二十種にしか区別ができないのに、・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・という連鎖と比べてどこに本質的の差違があるか。「思い切ったる死に狂い見よ」「青天に有明月の朝ぼらけ」と付けたモンタージュと、放免状を突きつけられた囚人の画像の次に「春の雪解け川」を出した付け合わせと、情は別でも、手法においてどれだけの差別が・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・これはこの二人の人の有声映画というものに対する心的態度と要求との根本的差違を反映する現象である。将来の有声映画製作者にとってはこの二つの対蹠的な現象の分析的研究が必要となるであろう。この二つのものはしかし必ずしも互いに相容れないものではない・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫