・・・あるいは夜分に外出することあり、不意に旅行することあり。主人は客の如く、家は旅宿の如く、かつて家族団欒の楽しみを共にしたることなし。用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・しかしあれは手紙が出来てしまってから、ふいと器械的に書いたのでございます。あのわたくしの顔がどうの姿がどうのと書きました、あの文句でございますね。 あなたは心理学者でいらっしゃるから、そう思召しますでしょうが、あれなんぞが本当に女らしい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・どうかした拍子でふいと自然の好い賜に触れる事があってもはっきり覚めている己の目はその朧気な幸を明るみへ引出して、余りはっきりした名を付けてしまったのだ。そして種々な余所の物事とそれを比べて見る。そうすると信用というものもなくなり、幸福の影が・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・左千夫の家は本所の茅場町にあるので牡丹の頃には是非来いといわれて居たから今日不意に出て驚かしてやるつもりなのだ。格堂はさきへ往て左千夫の外出を止める役になった。 昼餉を食うて出よとすると偶然秀真が来たから、これをもそそのかして、車を並べ・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・ 北から氷のようにつめたいすきとおった風がゴーッとふいてきました。「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子どもらはみんな一度に雨のようにえだからとびおりました。 北風がわらって、「ことしもこれでまずさよならさよ・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・ すると不意に流れの上の方から、 「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃした鳥のような形のものが、ばたばたばたばたもがきながら、流れて参りました。 ホモ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・を出して本棚や机をふいて、食堂から花を持って来たり、鼠に食われる恐ろしさに仕舞って置く人形や「とんだりはねたり」を並べたりする。 妙にそわそわして胸がどきどきする。 母に笑われる。でも仕方がない。 花を折りに庭へ出て書斎の前の、・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 始めて私が見た時から、彼等はきっと、いつ餌壺が満されるのかと、情けなく眺め、囀って居たに違いない。不意に赤い小鳥の屍を見た時より、私は相すまない心持に打たれた。 私は急いで粟の箱をさがした。そして、落し戸をあげ、餌壺を出して、塵を・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・そして途中ただその不意の災難を語りつづけた。 その晩はブレオーテの村を駆けまわって、人ごとに一条を話したが、一人もかれを信ずるものにあわなかった。 その夜は終夜、かれはこの一条に悩んだ。 次の日、午後一時ごろ、マリウスボーメルと・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 為事をしているうちに、急に暑くなったので、ふいと向うの窓を見ると、朝から灰色の空の見えていた処に、紫掛かった暗色の雲がまろがって居る。 同僚の顔を見れば、皆ひどく疲れた容貌をしている。大抵下顎が弛んで垂れて、顔が心持長くなっている・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫