きのしたけいすけ【木下恵介】
[1912〜1998]映画監督。静岡の生まれ。本名、正吉。「花咲く港」で監督デビュー。庶民の生活や情感を温かなまなざしで描いた作品を多く残す。テレビでも情愛あふれたドラマを提供し人気を集めた。代表作は、初の国産カラー作品である「カルメン故郷に帰る」のほか、「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「喜びも悲しみも幾歳月」など。平成3年(1991)文化功労者。
きのしたじゅんあん【木下順庵】
[1621〜1699]江戸前期の儒学者。京都の人。名は貞幹 (さだまさ) 。別号、錦里。松永尺五 (まつながせきご) に学び、加賀藩主に仕え、のち将軍綱吉の侍講となった。門下に新井白石・室鳩巣 (むろきゅうそう) ・雨森芳洲 (あめのもりほうしゅう) ・祇園南海 (ぎおんなんかい) らがいる。詩文集「錦里文集」など。
きのしたじゅんじ【木下順二】
[1914〜2006]劇作家。東京の生まれ。東大卒。「彦市ばなし」「夕鶴」などの民話劇と「山脈 (やまなみ) 」などのリアリズム演劇で、戦後の演劇界を代表する存在となる。演劇論・評論のほかシェークスピア作品の翻訳も多い。
きのしたたかふみ【木下幸文】
[1779〜1821]江戸後期の歌人。備中 (びっちゅう) の人。前名、義質 (よしなお) 。号、亮々舎 (さやさやのや) ・朝三亭。香川景樹に師事し、桂園十哲の一人。随筆「亮々草紙」、歌文集「亮々遺稿」など。
きのしたちょうしょうし【木下長嘯子】
[1569〜1649]江戸初期の歌人。豊臣秀吉の妻、北の政所 (まんどころ) の甥 (おい) 。名は勝俊。小浜城主。関ヶ原の戦いのあと、京都東山に隠棲。細川幽斎に和歌を学び、近世和歌革新の先駆者となった。歌文集「挙白集」「若狭少将勝俊朝臣集」など。
きのしたとうきちろう【木下藤吉郎】
豊臣秀吉の前名。
きのしたなおえ【木下尚江】
[1869〜1937]評論家・小説家・社会運動家。長野の生まれ。キリスト教徒となる。普選運動・社会主義啓蒙運動に奔走。また、日露戦争の際には非戦運動を起こす。小説「火の柱」「良人 (りょうじん) の自白」など。
きのしたもくたろう【木下杢太郎】
[1885〜1945]詩人・劇作家・医学者。静岡の生まれ。本名、太田正雄。北原白秋らとともに「パンの会」を結成。小説集「唐草表紙」、詩集「食後の唄」、戯曲「南蛮寺門前」「和泉屋染物店」など。
きのしたりげん【木下利玄】
[1886〜1925]歌人。岡山の生まれ。本名、利玄 (としはる) 。佐佐木信綱の門下。「心の花」、ついで「白樺」同人。歌集「銀」「紅玉」「一路」など。