みなもとのありひと【源有仁】
[1103〜1147]平安後期の公卿・歌人。後三条天皇の孫。源氏の姓を賜り、臣籍に降下、花園左大臣と称される。詩歌・書に通じた。日記「園槐記」、有職故実書「春玉秘抄」。
みなもとのいえなが【源家長】
[?〜1234]鎌倉初期の歌人。後鳥羽上皇に仕え、和歌所開闔 (かいこう) となり、新古今集の編集に当たった。著「源家長日記」は和歌史の貴重な資料。
みなもとのさねとも【源実朝】
[1192〜1219]鎌倉幕府第3代将軍。頼朝の次男。母は北条政子。幼名、千幡。頼家のあとを継いで将軍となったが、実権は北条氏が握った。のち右大臣となり、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁 (くぎょう) に殺された。藤原定家に師事、万葉調の歌をよくし、家集「金槐和歌集」がある。
みなもとのしげゆき【源重之】
[?〜1000ころ]平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。清和天皇の皇子貞元親王の孫。相模権守 (さがみのごんのかみ) 。旅の歌を得意とし、また冷泉天皇の東宮時代に奉った百首は、現存する最古の百首歌として知られる。家集「重之集」がある。
みなもとのしたごう【源順】
[911〜983]平安中期の歌人・学者。三十六歌仙の一人。和泉守・能登守。漢詩文・和歌にすぐれ、梨壺 (なしつぼ) の五人の一人として後撰集の撰進、万葉集の訓読にあたった。著「倭名類聚鈔」、家集「源順集」。
みなもとのたかあきら【源高明】
[914〜983]平安中期の公卿。醍醐天皇の皇子。通称、西宮左大臣。源の姓を賜り、臣籍に降下。安和 (あんな) の変で大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷。学を好み、有職故実に詳しかった。著「西宮記」。
みなもとのたかくに【源隆国】
[1004〜1077]平安中期の公卿・文学者。高明の孫。通称、宇治大納言。皇后宮大夫・権大納言となり、後一条天皇から白河天皇まで5代に仕えた。説話集「宇治大納言物語」を編著したという。
みなもとのためとも【源為朝】
[1139〜1177]平安後期の武将。為義の八男。豪放な性格で、弓術に長じた。13歳の時九州へ追われ鎮西八郎と称し、九州を略取。保元の乱で父とともに崇徳上皇方となり、敗れて伊豆大島に流された。のち、狩野茂光に攻められて自殺。
みなもとのためのり【源為憲】
[?〜1011]平安中期の学者・文人。源順 (みなもとのしたごう) に師事。漢詩をよくした。著「三宝絵詞」「口遊 (くちずさみ) 」「世俗諺文」。
みなもとのためよし【源為義】
[1096〜1156]平安後期の武将。祖父義家の養子となり、源氏の家督を継ぐ。六条堀河に住み、六条判官と称す。保元の乱で子為朝らを率いて崇徳上皇方となり、敗れて殺された。