・・・ 諸君、我々の脈管には自然に勤王の血が流れている。僕は天皇陛下が大好きである。天皇陛下は剛健質実、実に日本男児の標本たる御方である。「とこしへに民安かれと祈るなる吾代を守れ伊勢の大神」。その誠は天に逼るというべきもの。「取る棹の心長くも・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・歴レ年江樹自然深。人情湖海空迢※も明和安永の頃不忍池のほとりに居を卜した。大田南畝が壮時劉龍門に従って詩を学んだことも、既にわたくしは葷斎漫筆なる鄙稿の中に記述した。 南郭龍門の二家は不忍池の文字の雅馴ならざるを嫌って其作中には之を篠池・・・ 永井荷風 「上野」
・・・其頃はすべての病が殆ど皆自然療法であった。枳の実で閉塞した鼻孔を穿ったということは其当時では思いつきの軽便な方法であった。果物のうちで不恰好なものといったら凡そ其骨のような枳の如きものはあるまい。其枳の為に救われたということで最初から彼の普・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・器械的な自然界の現象のうち、尤も単調な重複を厭わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されん・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・中世において人格的に自覚した歴史的実在の世界は、更に自然的自覚を求めて来たともいい得る。我々の自己は、そこに深く自己自身の根柢に返って、新なる実在の把握を求めた。これがデカルト哲学の課題であった。デカルトの世界は近世科学の世界であった。しか・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩人と言ふのは、小説家等の文学者一般をも包括して言ふのである。 ニイチェは詩人である。何より・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・要するに婦人がおしゃべりなれば自然親類の附合も丸く行かずして家に風波を起すゆえに離縁せよとの趣意ならんなれども、多言寡言に一定の標準を定め難し。此の人に多言と聞えても彼の人には寡言と思われ、甲の耳に寡言なるも乙の聞く所にては多言なることあり・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・其故如何と尋るに、実際箇々の人に於ては各々自然に備わる特有の形ありて、夫の人の意も之が為に妨げられ遂に全く見われ難きによるなり。故曰、形は偶然のものにして変更常ならず、意は自然のものにして万古易らず。易らざる者は以て当にすべし、常ならざる者・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・先生はこの手紙が自己の空想の上に、自己の霊の上に、自然に強大に感作するのを見て、独り自ら娯しんでいる。 この手紙を書いた女はピエエル・オオビュルナンの記憶にはっきり残っている。この文字はマドレエヌ・スウルヂェエの手である。自分がイソダン・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれが望からまた自然が湧く。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫