出典:青空文庫
・・・僕の目に見えないものに抑えられたようにとまってしまった。僕はやむを得ず机の前を離れ、あちこちと部屋の中を歩きまわった。僕の誇大妄想はこう云う時に最も著しかった。僕は野蛮な歓びの中に僕には両親もなければ妻子もない、唯僕のペンから流れ出した命だ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・これまで自分の考えたようないろいろの心配などは畢竟誇大妄想病者の空中に描く幻影のようなものかもしれない。しかしはたしてそうであれば、現在行なわれているいろいろの宣伝がもう少しちがった色彩を帯びてもいいわけではあるまいか。 電車の中で・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・それでひょっとすると自分は一種の誇大妄想狂に襲われているのではないかと思って不安を感じる事もあった。そういう時の彼はみじめな状態にあった。世界を埋め尽くした泥の底に自分がうごめいているような気がしていた。しかし再び興奮の発作が来ると彼の頭は・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・彼の誇大妄想狂の原因は彼の蒐集した書物にあるから、これを焼き捨てなければいけないというので大勢の役人達が大きな書物をかかえて搬び出す場面がある。この画面が進行していたとき、自分の前の座席にいた男の子が突然大きな声で「アー、大掃除だ」と云った・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・往々考えが形而上的に走り、罷り違えば誇大妄想狂となんら選む所のないような夢幻的の思索に陥って、いつの間にか科学の領域を逸する虞がある。この意味の危険を避けるために、どこまでも科学の立脚地たる経験的事実を見失わぬようにしなければならない。論理・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・が、其等は資本主義国の生産事情にとっては、まことに誇大妄想的拡大であるかもしれないが、ソヴェト同盟にとっては全然実現可能の必要欠くべからざる生産拡張計画であると同時に、今度の五ヵ年計画はその社会的意味に於てこれまでのものとは非常に違うことを・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 仕事ぶりも、恋愛も負債も、すべてに所謂度はずれなバルザックの生活ぶりに圧倒されて、同時代は勿論後世にも或る種の人は、バルザックを一種の人の好い俗悪な誇大妄想者であったというところで、自身納得しようとしたらしい。反感を含んだ批評家は、バ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ここに誇大妄想と真実の自己運命の信仰との別があるのです。成長しないものと不断に力強く成長するものとの別があるのです。前者は自己を誇示して他人の前に優越を誇ります。後者は自己を鼓舞し激励するとともに、多くの悩み疲れた同胞を鼓舞し激励します。・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」