出典:青空文庫
・・・ 一分間で言える、僕と或少女と乙な中になった、二人は無我夢中で面白い月日を送った、三月目に女が欠伸一つした、二人は分れた、これだけサ。要するに誰の恋でもこれが大切だよ、女という動物は三月たつと十人が十人、飽きて了う、夫婦なら仕方がないから結・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 無我夢中で其処らを歩いて何時か青山の原に出たが矢張当もなく歩いている。けれども結局、妻に秘密を知られたので、別に覚悟も何にも無いのである。ただ喫驚した余りに怒鳴り、狼狽えた余に喚いたので、外面に飛び出したのは逃げ出したるに過ぎない。・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・最初の一年はぼくは無我夢中で訳の分らぬ小説を書き、投書しました。急にスポーツをやめた故か、人の顔をみると涙がでる、生つばがわく、少しほてる。からだが松葉で一面に痛がゆくなる。『芸術博士』に応募して落ちた時など帯を首にまきつけました。ドストエ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・肘と肘とをぶっつけ合い、互いに隣りの客を牽制し、負けず劣らず大声を挙げて、おういビイルを早く、おういビエルなどと東北訛りの者もあり、喧々囂々、やっと一ぱいのビイルにありつき、ほとんど無我夢中で飲み畢るや否や、ごめん、とも言わずに、次のお客の・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・がはじまる前だってちっとも楽じゃ無かったし、いよいよ大戦がはじまって、あたしも父の工場に出て職工さんたちと一緒に働くようになった頃から、もう、あたしたちは生きているのだか死んでいるのだか、何が何やら、無我夢中でその日その日を送り迎えして、そ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・その若い水夫は難破して怒濤に巻き込まれ、岸にたたきつけられ、無我夢中でしがみついたところは、燈台の窓縁であった、やれうれしや、たすけを求めて叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、いましも燈台守の一家がつつましくも楽しい夕食をはじめようとしてい・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ 無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が鴉が五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心大に驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です。昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足する・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・が、次の瞬間には無我夢中になって、フッ飛んだ。 道は沼に沿うて、蛇のように陰鬱にうねっていた。その道の上を、生きた人魂のように二人は飛んでいた。 沼の表は、曇った空を映して腐屍の皮膚のように、重苦しく無気味に映って見えた。 やが・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・これまで自分の心にあふれていて、その要素はいろいろな愛情を未熟に熱烈にひとっかたまりにぶつけていたものが失われると思いこんでいるから苦しいのであるし、その無我夢中の苦しさ、その半狂乱に、云うならばむすめ心もあるというものだろう。それと一緒に・・・ 宮本百合子 「雨の昼」