出典:青空文庫
・・・それから、――教科書を取り上げるが早いか、無茶苦茶に先を読み始めた。 教科書の中の航海はその後も退屈なものだったかも知れない。しかし彼の教えぶりは、――保吉は未に確信している。タイフウンと闘う帆船よりも、もっと壮烈を極めたものだった。・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・顔を真赤にした金三は良平の胸ぐらを掴まえたまま、無茶苦茶に前後へこづき廻した。良平はふだんこうやられると、たいてい泣き出してしまうのだった。しかしその朝は泣き出さなかった。のみならず頭がふらついて来ても、剛情に相手へしがみついていた。 ・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・それが予備軍のくり出される時にも居残りになったんで、自分は上官に信用がないもんやさかいこうなんのやて、急にやけになり、常は大して飲まん酒を無茶苦茶に飲んだやろ、赤うなって僕のうちへやって来たことがある。僕などは、『召集されないかて心配もなく・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・この満場爪も立たない聴衆の前で椿岳は厳乎らしくピヤノの椅子に腰を掛け、無茶苦茶に鍵盤を叩いてポンポン鳴らした。何しろ洋楽といえば少数の文明開化人が横浜で赤隊の喇叭を聞いたばかりの時代であったから、満場は面喰って眼を白黒しながら聴かされて煙に・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・の看板を掛けているのだが、偏屈なのと、稽古が無茶苦茶にはげし過ぎるので、弟子は皆寄りつかなくなって、従って収入りも尠かったのである。 ヴァイオリンなぞ艶歌師の弾くものだと思いこんでいた親戚の者たちは、庄之助に忠告して、「ヴァイオリン・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・彼等は、土をかきこんで、それを遮断しようがために、無茶苦茶にシャベルを動かした。 土は、穴を埋め、二尺も、三尺も厚く蔽いかぶせられ、ついに小山をつくった。…… 六 これは、ほんの些細な、一小事件にすぎなかった。・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・二人は、無茶苦茶に射ったのであるが、その間、彼等は、殆ど無意識で、あとから、自分等のやったことに気づいて吃驚したということだ。 兵卒は、誰れの手先に使われているか、何故こんな馬鹿馬鹿しいことをしなければならないか、そんなことは、思い出す・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・置き場に困る程無茶苦茶に杉の支柱はケージでさげられてきた。支柱夫は落盤のありそうな箇所へその杉の丸太を逆にしてあてがった。 阿見は、ボロかくしに、坑内をかけずりまわっていた。 三本脚の松ツァンが八番坑から仕方なく皆について出て来ると・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・正賓は肋を傷けられて卒倒し、一場は無茶苦茶になった。 元来正賓は近年逆境におり、かつまた不如意で、惜しい雲林さえ放そうとしていた位のところへ、廷珸の侮りに遭い、物は取上げられ、肋は傷けられたので、鬱悶苦痛一時に逼り、越夕して終に死んでし・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・て綜合して一考しまする時は、なるほど馬琴の書いたようなヒーローやヒロインは当時の実社会には居らぬに違い無いが、しかし馬琴の書いたヒーローやヒロインは当時の実社会の人々の胸中に存在して居たもので、決して無茶苦茶に馬琴が捏造したものでもよそから・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」