出典:gooニュース
32年のベテラン老中「松平武元」過労で死去の悲劇 台頭著しい「田沼意次」の時代へと突入する
大型プロジェクトを仕切る辣腕ぶりを見せた 松平武元は上野国館林6万1000石の城主で、8代将軍の徳川吉宗に見込まれて、9代将軍の家重のもとで延享3(1746)年に西丸老中となり、その翌年に本丸老中に就いた。年齢としては意次よりも5歳年長となるが、意次が老中になったときに、武元はすでに20年以上、老中を務めていたことになるから大ベテランだ。
老中が失脚した意外な理由、六千石の旗本から大名へ、家治に重用される
さらに、明和6年(1769)8月には、老中に準ずる老中格に昇進し、明和9年(1772)1月には老中に昇に上りつめている。 意次は老中になってからも、命じられて、側用人としての職務も続けた。 幕政を担う老中と、将軍の意思を伝える御用人を事実上、兼任することで、意次は絶大な権力を手にする。
早くも蔦重 VS 老中実現! 初回から小気味よい展開に讃辞「べらぼう」な蔦重像に胸アツ【べらぼう】
岡場所や宿屋の警動(取締)を訴えるため、奉行所まで押しかけた重三郎に、長屋の厠で会った男(安田顕)は、幕府の老中・田沼意次(渡辺謙)に会うことを勧める。商人・和泉屋(田山涼成)の付添のふりをして田沼との面会に成功した重三郎は、逆に「吉原に人を呼ぶ工夫が足りぬのでは」と問われる。
もっと調べる