いっすんのたんしん【一寸丹心】
いつわりのない真心。自分の真心をいう謙譲の語。ほんのちょっとの誠意の意から。▽「一寸」はわずかの意。「丹心」は「赤心」と同じで、真心や誠意の意。「丹心一寸たんしんいっすん」ともいう。
えんにゅうさんたい【円融三諦】
仏教のことばで、天台宗で説く三つの真理のこと。三つの真理とは、空諦くうたい(一切存在は空である)と、仮諦けたい(一切存在は縁起によって仮に存在する)、中諦ちゅうたい(一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)であり、この三つの真理が互いに融けあって、同時に成立していること。
きょくがくあせい【曲学阿世】
学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。「阿世曲学あせいきょくがく」ともいう。
しんじついちろ【真実一路】
偽りのない真心をもって一筋に進むこと。▽「真実」はまこと・ほんとうのこと。「一路」は一筋の道、一筋の道をまっすぐに、ひたすらの意。
じつじきゅうぜ【実事求是】
事実の実証に基づいて、物事の真理を追求すること。中国清朝しんちょうの考証学の学風。▽「実事」は実際のこと。本当のこと。「求是」は誠・真理を窮め求めること。「事ことを実じつにして是ぜを求もとむ」と訓読する。
たきぼうよう【多岐亡羊】
枝道が多いため逃げた羊を見失うように、どれを選んだらよいのか思案にあまることのたとえ。道を求める者が末節にこだわり、真理に到達し難いこと。学問の道があまりに細分化しすぎ、真理が見失われがちになるたとえ。▽「岐」は枝道・分かれ道。「亡」は逃げる意。「岐き多おおくして羊ひつじを亡うしなう」と訓読する。
ちょうしんぼぎ【朝真暮偽】
真実とうその定めがたいことのたとえ。朝と夕で真実とうそが入れかわる意。▽白居易はくきょいが節操なく変節する人を風刺した語。
ばんのういっしん【万能一心】
何事をするにも、心を集中してしなければならないということ。また、あらゆる技芸をこなせても、真心が欠けていれば、何の役にも立たないということ。万能よりも真心が大切なことをいう。また、真心をこめてする意に用いられることもある。▽「万能足りて一心足らず」の略。「万」は「まん」とも読む。
へきけつたんしん【碧血丹心】
このうえない真心の意。また、このうえない忠誠心のこと。▽「碧」は青の意。「丹心」は真心。赤心。
むみょうじょうや【無明長夜】
根本的な聡明そうめいさに欠けるため、衆生しゅじょうが煩悩にとらわれ、真理を得にくいこと。悟りの境地に達しないこと。このことを、明けることのない長い夜にたとえた。▽仏教語。「無明」は衆生を迷わせる煩悩があるために、物事の真理が見えず、仏道にくらいこと。「長夜」は長い間、長い時間にわたっての意。