きくち‐たけとも【菊池武朝】
[1363〜1407]南北朝時代の武将。肥後の人。武光の孫。初名、武興。征西将軍良成親王を立てて今川了俊と各地で戦い、南朝勢力の回復に努めたが、のち、衰退した。
じょうちょう【定朝】
[?〜1057]平安中期の仏師。康尚の子。法成寺の造仏の功により、仏師として初めて法橋(ほっきょう)に叙せられ、のち法眼(ほうげん)にまで進んだ。その優美な様式は定朝様または和様とよばれ、長く日...
にっちょう【日朝】
[1422〜1500]室町中期の日蓮宗の僧。伊豆の人。号、行学院。通称、加賀阿闍梨(あじゃり)。比叡山・南都などに学ぶ。寛正元年(1460)身延山第11世を継ぎ、寺境を拡張、制度を整備して身延山...
ひの‐すけとも【日野資朝】
[1290〜1332]鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇に登用され、日野俊基らと討幕計画を進めたが、六波羅探題に探知されて、佐渡に配流(正中の変)。のち、佐渡で斬られた。
みなもと‐の‐さねとも【源実朝】
[1192〜1219]鎌倉幕府第3代将軍。頼朝の次男。母は北条政子。幼名、千幡。頼家のあとを継いで将軍となったが、実権は北条氏が握った。のち右大臣となり、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁(くぎょう)に殺...
みなもと‐の‐ためとも【源為朝】
[1139〜1177]平安後期の武将。為義の八男。豪放な性格で、弓術に長じた。13歳の時九州へ追われ鎮西八郎と称し、九州を略取。保元の乱で父とともに崇徳上皇方となり、敗れて伊豆大島に流された。の...
みなもと‐の‐よしとも【源義朝】
[1123〜1160]平安末期の武将。為義の長男。保元の乱で後白河天皇方に味方して勝利をおさめ、敵方の父為義ら一族を滅ぼした。のち、藤原信頼と結んで平治の乱を起こしたが、敗れて尾張で殺された。
みなもと‐の‐よりとも【源頼朝】
[1147〜1199]鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後、伊豆に流されたが、以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に関東に勢力を伸ばし、弟範頼・義経を西上させて義仲...
ゆうき‐うじとも【結城氏朝】
[1402〜1441]室町中期の武将。下総(しもうさ)の人。上杉憲実に対抗、足利持氏死後、その遺児を迎えて結城城に籠ったが、上杉軍に敗れて自殺。