ほうじょうときまさ【北条時政】
[1138〜1215]鎌倉幕府初代執権。在職1203〜1205。源頼朝の妻政子の父。通称、四郎。頼朝の挙兵を助け、鎌倉幕府創業に貢献。頼朝死後、2代将軍頼家を謀殺して実朝を擁立、初代執権として幕政の実権を握ったが、のち、実朝を除く計画が失敗して引退した。
ほうじょうときむね【北条時宗】
[1251〜1284]鎌倉幕府第8代執権。在職1268〜1284。時頼の長男。通称、相模太郎。元寇に際して強硬策をとり、文永の役・弘安の役でこれを撃退。禅を信仰し、中国宋より無学祖元を招き、円覚寺を建立した。
ほうじょうときゆき【北条時行】
[?〜1353]南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府の滅亡後、信濃にのがれ、建武政権に抗して挙兵。一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた(中先代の乱)。のち、南朝に属して新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、敗れて斬られた。
ほうじょうときより【北条時頼】
[1227〜1263]鎌倉幕府第5代執権。在職1246〜1256。泰時の孫。法名、道崇。豪族三浦一族を滅ぼし、執権北条氏の権力を確立。執権を辞してから出家。禅を信仰し、中国宋より蘭渓道隆を招き、建長寺を建立。仁政と諸国遍歴の伝説がある。最明寺殿。
ほうじょうひでじ【北条秀司】
[1902〜1996]劇作家。大阪の生まれ。本名、飯野秀二。岡本綺堂に師事。新派・新国劇・歌舞伎などの商業演劇の脚本を数多く執筆。作「閣下」「王将」「霧の音」「建礼門院」など。昭和62年(1987)文化功労者。
ほうじょうまさこ【北条政子】
[1157〜1225]源頼朝の正室。頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後尼となり、初め頼家、のち実朝を将軍としてその後見となった。実朝暗殺後は京都から九条頼経を4代将軍に迎え、執権政治を確立して尼将軍といわれた。平政子。 永井路子による長編の歴史小説。昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて「新潟日報」などの地方紙に連載。昭和44年(1969)、単行本刊行。の半生を描く。
ほうじょうまさむら【北条政村】
[1205〜1273]鎌倉幕府7代執権。義時の子。評定衆・連署などを経て文永元年(1264)執権となる。時宗に執権職を譲った後は再び連署となり、時宗を補佐した。和歌にも優れ「新勅撰和歌集」などに37首を残す。
ほうじょうやすとき【北条泰時】
[1183〜1242]鎌倉幕府第3代執権。在職1224〜1242。義時の長男。通称、江馬太郎。承久の乱に上洛して鎮定に当たり、六波羅探題として乱後の処理にあたった。父の死後執権となり、評定衆の設置、御成敗式目の制定など、御家人中心の武家政治の確立に努めた。
ほうじょうよしとき【北条義時】
[1163〜1224]鎌倉幕府第2代執権。在職1205〜1224。時政の次男。通称、江馬小四郎。父時政の失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、幕府権力を安定させ、北条氏の執権政治を固めた。
ほうじょうりゅう【北条流】
江戸初期、小幡景憲の門人北条氏長が創始した軍学の流派。