出典:青空文庫
・・・丸の中には、どうしても、その役者が隠れていて、しかも大いにのさばっているために、われわれは浄瑠璃の松王丸を見るかわりに俳優何某の松王丸しか見ることができないのであるが、この人形の松王丸となると、それが正真正銘の浄瑠璃の世界から抜けだして来た・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・しかしこの犬だけはいつでも正真正銘の犬である。犬を愛し犬の習性を深く究め尽くした作者でなければ到底表現することのできない真実さを表現している。 この犬を描くのと同じ行き方で正真正銘の人間を描くことがどうしてできないのか。それができたらそ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・たとえ興行者のほうでは芝居のつもりであったとしても、動物のほうでは芝居気などは少しもない正真正銘の命がけの果たし合いだからである。 ジャングルの住民は虎でも蛇でもなんでもみんな生きるために生まれて来ているはずである。ところが、それが生き・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・うな暑苦しい谷間の坂道の空気の中へ、ちょうど味噌汁の中に入れた蓴菜のように、寒天の中に入れた小豆粒のように、冷たい空気の大小の粒が交じって、それが適当な速度でわれわれの皮膚を撫でて通るときにわれわれは正真正銘の涼しさを感じるらしい。 暑・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ともかくも明白に正真正銘に「泣き」また「笑う」のはだいたいにおいて人間の特権であるらしいから、われわれはこの特権を最も有効に使用するように注意したいものである。しかしまたこれが人間の仕事のうちでいちばんむつかしいことのようにも思われる。・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・世界に二つとない正真正銘の青金剛石だ。世界中捜しても見附からないはずだ。乞食の靴の中に這入っている。誰にだって分からなかろう。誰にだってなあ。ははは。何百万と云う貨物が靴の中にあるのだ。」 一本腕は無意識に手をさし伸べて、爺いさんの左の・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・二親たちの生涯の延長として、その延長されたいのちが遭遇する歴史の姿として、私がこれらの愛するものの傍で、よしや薬をのませることさえ出来なかったとしても、私たち親と子は正真正銘親と子で、どんな力も其をさえぎることの出来ない、いとしい世代の流れ・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・と云うのは、実に「笑わば笑え。正真正銘の悲劇喜劇」であると云うより外はない。 作家というものは、錯綜した社会関係の間にあって、種々の幸、不幸を経験するものである。作家横光は、日本における文学史の一時期との相対関係の上から一人のブルジョア・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」