かいもんきょくろ【槐門棘路】
政界の最高幹部のたとえ。もとは、中国周代の三公と公卿こうけい(九卿きゅうけい)のことをいった。▽「槐門」は三公の別称。「槐」はえんじゅ。落葉高木。「棘路」は九卿の別称。公卿の地位のこと。「棘」はいばら。三公は臣下の最高位の三つの位。周代は太師・太傅たいふ太保をいう。九卿は九人の大臣。それぞれ時代によって異なる。
かきゅうじんそく【家給人足】
生活が豊かで満ち足りているたとえ。どの家にも衣食が十分に行き渡り、だれもが豊かに満ち足りている意から。▽「給」は行き渡る、豊かになる意。「足」は十分にある、満ち備わるの意。「家いえごとに給きゅうし人ひとごとに足たる」と訓読する。
きゅうえんとうりん【窮猿投林】
困っているときには、あれこれとえり好みなどしている余裕はないたとえ。貧窮しているときには俸禄ほうろくや官職などをえり好みしている余裕はないたとえ。▽「窮猿」は追いつめられた猿。「投林」は林に飛び込む意。出典に「窮猿林に投ずるに豈あに木を択えらぶに暇いとまあらんや(追いつめられて林に飛び込んだ猿は、どうしてどの枝によじ登ろうかなどとかまっている余裕があろうか)」とあるのによる。この語は晋しんの李充りじゅうが将軍の参謀に薦められたとき、軍人では家の貧窮が救えないと判断して、それよりも下の位の地方官を選んだときに言ったもの。「窮猿きゅうえん林はやしに投とうず」と訓読する。
きゅうきょじゃくそう【鳩居鵲巣】
もとは女が嫁いで、夫の家をわが家とするたとえ。転じて、労せずして他人の成功や他人の地位を横取りするたとえ。また、人の家に仮住まいするたとえとして用いられることもある。鳩はとは巣作りが下手で、それの上手な鵲かささぎの巣に住み、卵を生む意から。▽「鵲」はかささぎのこと。「鳩はと、鵲かささぎの巣すに居おる」と訓読する。「鵲巣鳩居じゃくそうきゅうきょ」ともいう。
きゅうこうじっせん【躬行実践】
⇒ じっせんきゅうこう(実践躬行)
きゅうとまつろ【窮途末路】
苦境にいて行きづまり、逃れようもない状態。窮地にあって困りはてること。道がきわまって行きようのない意から。▽「窮途」は行きづまりの道。転じて、苦しい境遇・困窮の意。「末路」は道の終わり。「末路窮途まつろきゅうと」ともいう。
けいきゅうひば【軽裘肥馬】
非常に富貴なさま。また、富貴な人の外出のときの装い。転じて、富貴の人。軽くて美しい皮ごろもと肥えた立派な馬の意から。▽「裘」は皮ごろものこと。「軽裘」は軽くて高価な皮ごろも。略して「軽肥」ともいう。また、「肥馬軽裘ひばけいきゅう」ともいう。
こうじつじきゅう【曠日持久】
《「戦国策」趙策から》むなしく日々を過ごして物事を長引かせること。曠日弥久(こうじつびきゅう)。曠久。「此儘に—せば、鎮台益々土兵を募り」〈竜渓・浮城物語〉
ごかのあもう【呉下阿蒙】
いつまでたっても、全く進歩のないつまらない人のたとえ。また、無学な人のたとえ。呉の蒙さんの意から。▽「呉下」は呉の国の中。呉の地方にいる意。「阿」は相手を親しみを込めて呼ぶのに名前の上につける接頭語。「阿蒙」は蒙さんの意。ここでは中国三国時代呉の孫権そんけんに仕えた呂蒙りょもうのこと。「旧きゅう阿蒙」ともいう。
さいかきっすい【採菓汲水】
厳しい仏道修行のたとえ。仏に供えるため、木の実を採り、花を摘み、水を汲くむ意から。▽仏教語。「菓」は木の実。「菓かを採とり水みずを汲くむ」と訓読する。「菓」は「果」「花」とも書き、「汲」は「ぎっ」「きゅう」とも読む。