たん‐たいぎ【炭太祇】
[1709〜1771]江戸中期の俳人。江戸の人。40歳を過ぎてから京都の大徳寺の僧となり、のち島原遊郭に不夜庵を結び、与謝蕪村(よさぶそん)らと俳諧三昧(ざんまい)の生活を送る。句集「太祇句選」など。
どうりょう‐さった【道了薩埵】
室町時代の曹洞宗の僧。字(あざな)は妙覚。相模最乗寺の守護神。同寺開山了庵慧明の弟子で、同寺の守護を誓って天狗となり、昇天したと伝えられる。生没年未詳。
ないとう‐じょうそう【内藤丈草】
[1662〜1704]江戸前期の俳人。蕉門十哲の一人。通称、林右衛門。別号、懶窩(らんか)・仏幻庵など。尾張犬山藩士。出家して京にのぼり、芭蕉に師事。句風は軽妙洒脱。著「寝ころび草」など。
ながよ‐せんさい【長与専斎】
[1838〜1902]医者。肥前の生まれ。緒方洪庵に師事。長崎でポンペに西洋医学を学び、のち長崎医学校長となる。岩倉遣欧使節に随行し、帰国後、文部省医務局長・東京医学校長を歴任し、衛生行政を確立。
なごや‐げんい【名古屋玄医】
[1628〜1696]江戸前期の医師。京都の人。字(あざな)は閲甫・富潤。号、宜春庵・丹水子・桐渓。古医方説を唱えた。著「医方問余」など。
はくいん‐えかく【白隠慧鶴】
[1686〜1769]江戸中期の僧。臨済宗中興の祖。駿河の人。号、鵠林。勅諡号(ちょくしごう)、神機独妙禅師・正宗国師。信濃飯山正受庵の道鏡慧端の法を嗣(つ)ぎ、故郷の松陰寺に住持した。京都妙心...
はしもと‐さない【橋本左内】
[1834〜1859]幕末の志士。福井藩士。名は弘道。号、景岳。緒方洪庵(おがたこうあん)・杉田成卿(すぎたせいけい)らに蘭学・医学を学び、藩主松平慶永(まつだいらよしなが)に認められ、藩政改革...
はっとり‐とほう【服部土芳】
[1657〜1730]江戸前・中期の俳人。伊賀上野の人。名は保英。通称、半左衛門。別号、蓑虫庵(みのむしあん)など。もと藤堂藩士。松尾芭蕉の弟子で、伊賀蕉門の中心人物。俳論書「三冊子(さんぞうし...
はっとり‐らんせつ【服部嵐雪】
[1654〜1707]江戸前・中期の俳人。蕉門十哲の一人。江戸の人。名は治助(はるすけ)。通称、彦兵衛。別号、雪中庵など。武士から俳諧の宗匠となり、穏健な俳風で、江戸俳壇を其角(きかく)と二分し...
ハビアン【Fabian】
[1565〜1620?]安土桃山・江戸初期の日本人イエズス会士で、「天草本平家物語」の編者。山城の人とも、加賀の人ともいう。初め禅寺に入り、恵俊と称した。改宗後、キリシタン教義書「妙貞問答」を著...