みなもと‐の‐つねのぶ【源経信】
[1016〜1097]平安後期の公卿・歌人。俊頼の父。桂大納言・帥(そち)大納言とよばれる。博識多芸で、詩歌・管弦に長じ、藤原公任(きんとう)と並んで三舟(さんしゅう)の才と称された。家集「大納...
みなもと‐の‐つねもと【源経基】
[?〜961]平安中期の武将。清和天皇の皇子貞純親王の長子。六孫王と称された。藤原純友の乱鎮定に際し、小野好古に従って活躍。源の姓を賜って臣籍に降下、清和源氏の祖となった。
みなもと‐の‐とおる【源融】
[822〜895]平安前期の公卿。嵯峨天皇の皇子。源の姓を賜り、臣籍に降下。六条河原に邸宅を営み、河原左大臣とよばれた。宇治に営んだ別荘はのちに平等院となる。
みなもと‐の‐ゆきいえ【源行家】
[?〜1186]平安末期の武将。為義の一〇男。通称、新宮十郎。以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて、各地の武士に伝達。義仲とともに入京、のち、頼朝と不和になった義経に協力し、和泉で頼朝...
みなもと‐の‐よしいえ【源義家】
[1039〜1106]平安後期の武将。頼義の長男。通称、八幡太郎。前九年の役で父を助けて安倍氏を討ち、のち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年の役を鎮定。東国における源氏勢力の基盤をつくった。
みなもと‐の‐よしつね【源義経】
[1159〜1189]平安末期・鎌倉初期の武将。義朝の九男。母は常盤(ときわ)御前。幼名、牛若丸。平治の乱後、鞍馬寺に入り、さらに奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せた。兄頼朝の挙兵に応じて義仲を討...
みなもと‐の‐よしとも【源義朝】
[1123〜1160]平安末期の武将。為義の長男。保元の乱で後白河天皇方に味方して勝利をおさめ、敵方の父為義ら一族を滅ぼした。のち、藤原信頼と結んで平治の乱を起こしたが、敗れて尾張で殺された。
みなもと‐の‐よしなか【源義仲】
[1154〜1184]平安末期の武将。為義の孫。幼名、駒王丸。木曽山中で育ち、木曽冠者と称される。以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて、頼朝・行家に呼応して挙兵。平維盛を倶利伽羅峠で破...
みなもと‐の‐よしひら【源義平】
[1141〜1160]平安末期の武将。義朝の長男。15歳で叔父義賢を倒して武名をあげ、悪源太と称された。平治の乱で父義朝に従って奮戦、敗れて美濃に逃れた。父の死後、京都に潜入して平清盛をねらった...
みなもと‐の‐よしみつ【源義光】
[1045〜1127]平安後期の武将。頼義の三男。通称、新羅三郎(しんらさぶろう)。弓術に長じ、笙(しょう)をよくした。後三年の役に際し、官を辞して兄義家を助けて武功をあげた。