いがらし‐しんさい【五十嵐信斎】
室町後期の蒔絵師(まきえし)。五十嵐派の祖。将軍足利義政(あしかがよしまさ)に仕え、その作品は東山御物と称される蒔絵品に多いといわれる。生没年未詳。
いがらし‐どうほ【五十嵐道甫】
[?〜1678]江戸前期の蒔絵師(まきえし)。信斎の孫。前田利常(まえだとしつね)の招きで金沢に行き、加賀蒔絵の基礎を築いた。
いけにし‐ごんすい【池西言水】
[1650〜1722]江戸中期の俳人。奈良の人。本名は則好。松江重頼(まつえしげより)の門人。自撰句集に「初心もと柏」がある。「木枯(こがらし)の果(はて)はありけり海の音」の句によって、世に「...
おがわ‐はりつ【小川破笠】
[1663〜1747]江戸中期の蒔絵師(まきえし)。伊勢の人。江戸に移り、俳諧や土佐派の絵画もよくした。蒔絵に鉛・貝・陶片・牙角(がかく)・堆朱(ついしゅ)などをはめ込む破笠細工を創始。作品に「...
こいかわ‐はるまち【恋川春町】
[1744〜1789]江戸中期の黄表紙作者・狂歌師。駿河小島藩士。本名、倉橋格。狂号、酒上不埒(さけのうえのふらち)。筆名恋川春町は、藩邸があった小石川春日町のもじり。「金々先生栄花夢」で黄表紙...
こうあみ【幸阿弥】
[1410〜1478]室町後期の蒔絵師(まきえし)。本名、土岐四郎左衛門道長。足利義政に仕え、入道して幸阿弥と称す。下絵に土佐光信の大和絵や能阿弥・相阿弥らの作品を用いた。→幸阿弥派
こうしょう‐てんのう【孝昭天皇】
記紀で、第5代の天皇。懿徳(いとく)天皇の皇子。名は観松彦香殖稲(みまつひこかえしね)。都を大和の葛城郡掖上(わきのかみ)に移し、池心宮(いけこころのみや)と称した。
しょう‐かいせき【蒋介石】
[1887〜1975]中国の政治家。中華民国総統。浙江(せっこう)省奉化(ほうか)の人。字(あざな)は中正。孫文に師事し、黄埔(こうほ)軍官学校を創設、革命軍を養成して北伐を成功させた。のち、国...
ちぎ【智顗】
[538〜597]中国、隋の僧。天台宗の第三祖であるが、実質的には開祖。華容(湖南省)の人。姓は陳。字(あざな)は徳安。初め慧思(えし)に師事。天台山にこもって、法華経の精神と竜樹の教学を中国独...
りゅうてい‐たねひこ【柳亭種彦】
[1783〜1842]江戸後期の戯作者。江戸の人。本名、高屋知久(たかやともひさ)。通称、彦四郎。食禄二百俵の旗本。初め読本(よみほん)を発表。のち合巻(ごうかん)に転じ、「偐紫(にせむらさき)...