出典:青空文庫
・・・五円を懐中して下駄を買いに出掛けても、下駄屋の前を徒らに右往左往して思いが千々に乱れ、ついに意を決して下駄屋の隣りのビヤホオルに飛び込み、五円を全部費消してしまうのである。衣服や下駄は、自分のお金で買うものでないと思い込んでいるらしいのであ・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ 紋切型辞典に曰く、それは右往左往して疲れて、泣く事である。多忙のシノニム。 僕も、ちょっぴり泣いた事がある。「毎日、たいへんですね。」「ええ、疲れますわ。」 こう来なくちゃ嘘だ。「でも、いまは民主革命の絶好のチャンスで・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・そこではもはやこうした行動の一致は望まれないと見えて右往左往の混乱が永久に繰り返されている。これでは魚が疲れてしまいはせぬかと思って気になるようである。 交通があまりに発達して、世界が一つの水槽のようになってしまうと、その中に動いている・・・ 寺田寅彦 「破片」
四十年来の暑さだ、と、中央気象台では発表した。四十年に一度の暑さの中を政界の巨星連が右往左往した。 スペインや、イタリーでは、ナポレオンの方を向いて、政界が退進した。 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げら・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
暗くしめっぽい一つの穴ぐらがある。その穴ぐらの底に一つの丸い樽がころがされてあった。その樽は何年もの間、人目から遮断されたその暗がりにころがされていて、いそがしく右往左往する人々は、その穴ぐらをふさいでいる厚板の上をふんで・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・その記事の傍らに見るものは、連日連夜にわたる幣原、三土、楢橋の政権居据りのための右往左往と、それに対する現内閣退陣要求の輿論の刻々の高まり、さらにその国民の輿論に対して、楢橋書記翰長は「院外運動などで総辞職しない」「再解散させても思う通りに・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・昔、宇野浩二が書いた小説に、菊富士ホテルの内庭で、わからない言葉で互によんだり、喋ったりしながら右往左往しているロシアの小人たちの旅芸人の一座を描いたものがあった。植込みや泉水のある庭のあちこちを動いたり、その庭に向っている縁側を男や女の小・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・羽織袴、多分まだ両刀を挾した男達が、驚くべく顴骨の高い眦の怒った顔で小さく右往左往している処に一つ衝立があり、木の卓子に向って読書している者、板敷の床を二階に昇ろうとする者の後姿などが雑然と一目で見える絵だ。 古い草紙につきものの乾いた・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・学校帰りの学生、事務所をしまった人々、職人、交換手、そういう種々雑多な人々が、各自に違った汗を掻きながら、泥を白い足袋の上にハねかえし右往左往するのを思うと、今斯うやって、静かな水の辺で、電車の音もきかずに居るのは感謝すべきである。暑いと云・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・赤いプラカートがスルスルと舞台一杯におりて来て、舞台からとびおりて俳優が観客席の間を右往左往、小鬼みたいに叫びながら馳けずりまわり、パッとそれが消え、再び舞台が明るくなったと思うと、映画のフラッシュ・バックの手法で、そこにもとのまんま「一同・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」