出典:gooニュース
[社説][沖縄戦80年]根こそぎ動員 女性も子どもも前線に
戦争が始まると、兵士が戦場に動員される。戦闘が長期化し激しくなればなるほど犠牲者は増える。戦場は詰まるところ、あらゆる兵器を使い、人と人が殺し合う場だ。 太平洋戦争末期の1945年6月23日、日本は本土決戦に備え、義勇兵役法を公布した。 米軍の本土上陸を見越し、女子や少年にも兵役を課し、国民を根こそぎ動員するための法整備だった。 敗戦のため「一億総特攻
沖縄戦慰霊碑の“南北之塔”建立に携わった元アイヌ兵 亀裂から友好へ…距離と世代を超えてつなぐ人たち
日米合わせて20万人の死者を出した沖縄戦。国内最大の地上戦が繰り広げられたその地に、アイヌの言葉が刻まれた慰霊碑がたっています。ともに沖縄戦を戦った、アイヌと地元住民の絆に迫ります。沖縄戦の激戦地となった糸満市真栄平(いとまんし・まえひら)。
「琉球人形の歴史を消さない」 沖縄戦後、女性たちが自立のため制作 この道50年の76歳作家の思い
■観光ブームで「作る端から売れた」 琉球人形は沖縄戦後の混乱の中、女性たちが生み出した。家計を助けるための仕事としてだけではなく、物がない時代の憧れを形にすることでもあった。米軍のパラシュートの生地を縫い上げるなどして製品に仕立て、米兵向けの土産品にした。米軍統治下の琉球政府も戦争で夫を亡くした女性の経済的自立を促す手内職として後押ししていた。
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