かんぽうのまじわり【管鮑之交】
互いによく理解し合っていて、利害を超えた信頼の厚い友情のこと。きわめて親密な交際のこと。▽「管」は春秋時代、斉の名宰相の管仲。「鮑」は鮑叔牙ほうしゅくが。単に鮑叔ともいう。管仲と若いときから仲がよく、仲を斉の桓公かんこうに推挙した。「交」は「こう」とも読む。
がくがくのしん【諤諤之臣】
正しいと思うことを直言する人のこと。
がくちりこう【学知利行】
人が踏み行うべき人倫の道を後天的に学んで理解し、その正しさを知り認めて、初めて実践すること。人が踏み行うべき人倫の道を認識し、実践していく三つの道程、すなわち、生まれつき先天的にそれをもっている完全な道徳的人間の「生知安行」、生まれつきにはもっていないが、後天的にそれを認識し学んで正しいと知り、初めて実践する「学知利行」、生まれつき聡明そうめいでなく、発憤して心を苦しめ、やっとのことでそれを認識し、一心に努力を重ねて実践する「困知勉行こんちべんこう」のうちの一つ。▽「学知」は人倫の道を先天的でなく学んで知ること。「利行」はよい、また役に立つと認めて実践すること。
がしんしょうたん【臥薪嘗胆】
将来の成功を期して苦労に耐えること。薪の上に寝て苦いきもをなめる意から。▽「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。もとは敗戦の恥をすすぎ仇あだを討とうと、労苦を自身に課して苦労を重ねること。
きかかきょ【奇貨可居】
好機はうまくとらえて、利用しなければならないというたとえ。珍しい値打ちのある物は貯えておいて、将来値が上がってから売ること。▽「奇貨」は珍しい価値のあるもの。転じて、絶好の機会のたとえ。「居」はたくわえる、手元に置く意。一般に「奇貨きか居おく可べし」と訓読を用いる。
きげんかくろん【危言覈論】
自分が正しいと思うことを主張し、激しく議論を闘わせること。
きっきょうかふく【吉凶禍福】
幸いとわざわい。よいことと悪いこと。また、めでたいことと縁起の悪いこと。
きみょうちょうらい【帰命頂礼】
地に頭をつけて礼拝し、深く帰依きえの情をあらわすこと。心から仏に帰依すること。▽仏教語。「帰命」は仏の教えを深く信じ、身命を投げ出して帰依し従う厚い信心のこと。身命をささげて仏・法・僧の三法に帰依すること。「南無なむ」とほぼ同意。「頂礼」は頭を地につけてする礼。頭を地につけ尊者の足下を拝する。「五体投地ごたいとうち」ともいい、古代インドの最高の敬礼。
きゅうえんとうりん【窮猿投林】
困っているときには、あれこれとえり好みなどしている余裕はないたとえ。貧窮しているときには俸禄ほうろくや官職などをえり好みしている余裕はないたとえ。▽「窮猿」は追いつめられた猿。「投林」は林に飛び込む意。出典に「窮猿林に投ずるに豈あに木を択えらぶに暇いとまあらんや(追いつめられて林に飛び込んだ猿は、どうしてどの枝によじ登ろうかなどとかまっている余裕があろうか)」とあるのによる。この語は晋しんの李充りじゅうが将軍の参謀に薦められたとき、軍人では家の貧窮が救えないと判断して、それよりも下の位の地方官を選んだときに言ったもの。「窮猿きゅうえん林はやしに投とうず」と訓読する。
きゅうしいっしょう【九死一生】
危ういところで奇跡的に助かること。ほとんど死を避けがたい危険な瀬戸際で、かろうじて助かること。▽「九死」は十のうち九まで死の可能性が高いことで、ほとんど死が避けがたい危険な場合をいう。「一生」は十のうち一の生きる可能性の意。一般には「九死に一生を得る」という形で用いることが多い。