かがくじょうたつ【下学上達】
身近で容易なことから学んで、だんだんに高度で深い道理に通じること。また、手近なところから学び始めて、次第に進歩向上してゆくこと。▽「下学」は初歩的で卑近なことを学ぶこと。「上達」は高遠な道理に通じること。「下学かがくして上達じょうたつす」と訓読する。
かくぜんたいこう【廓然大公】
心が何のわだかまりもなくからっと広く、少しの偏りもないこと。君子が学ぶべき聖人の心をいう語。また、聖人の心を学ぶ者の心構えをいう語。▽「廓然」は心がからりと広いさま。「大公」は大いに公平で私心のないこと。「大」は「太」とも書く。
がくちりこう【学知利行】
人が踏み行うべき人倫の道を後天的に学んで理解し、その正しさを知り認めて、初めて実践すること。人が踏み行うべき人倫の道を認識し、実践していく三つの道程、すなわち、生まれつき先天的にそれをもっている完全な道徳的人間の「生知安行」、生まれつきにはもっていないが、後天的にそれを認識し学んで正しいと知り、初めて実践する「学知利行」、生まれつき聡明そうめいでなく、発憤して心を苦しめ、やっとのことでそれを認識し、一心に努力を重ねて実践する「困知勉行こんちべんこう」のうちの一つ。▽「学知」は人倫の道を先天的でなく学んで知ること。「利行」はよい、また役に立つと認めて実践すること。
がんぶつそうし【玩物喪志】
無用なものを過度に愛玩して、本来の志を見失ってしまう意で、枝葉末節なことにこだわり、真に学ぶべきことや学問の本質を見失うこと。また、自分の好みで、珍しいものなどを過度に愛好して正しい心を失うこと。▽「玩」はもてあそぶ、むさぼる意。「喪」は失う意。「物ものを玩もてあそべば志こころざしを喪うしなう」と訓読する。
せんせいせんし【先聖先師】
孔子とその高弟顔回のこと。また、孔子の尊称。さらに孔子の理想とした政治家周公と孔子のこと。▽「先聖」は昔の聖人。「先師」は聖人の教えを広めるのに大功のあった人。また、師として仰ぎ学ぶべき昔の賢人。古代の中国では、学校を建てると先聖と先師を祭る決まりになっていた。先聖・先師をだれと見なすかは、時代によって異なる。わが国では、孔子を先聖、顔回を先師の筆頭として祭ったことから、孔子と顔回の意味で解釈する。
はくがくしんもん【博学審問】
広く学んで詳しく問いただし、学問の道を究めること。広く学んで知識を広め、細かに詳しく疑問を起こし問うこと。儒教、特に朱子学でいう学問の道程で、学ぶ、問う、思う、弁ずる、行うの「学ぶ、問う」に当たる。▽「博」は広い意。「審問」は詳しく調べて尋ねる意。