きのしたけいすけ【木下恵介】
[1912〜1998]映画監督。静岡の生まれ。本名、正吉。「花咲く港」で監督デビュー。庶民の生活や情感を温かなまなざしで描いた作品を多く残す。テレビでも情愛あふれたドラマを提供し人気を集めた。代表作は、初の国産カラー作品である「カルメン故郷に帰る」のほか、「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「喜びも悲しみも幾歳月」など。平成3年(1991)文化功労者。
きのしたじゅんあん【木下順庵】
[1621〜1699]江戸前期の儒学者。京都の人。名は貞幹 (さだまさ) 。別号、錦里。松永尺五 (まつながせきご) に学び、加賀藩主に仕え、のち将軍綱吉の侍講となった。門下に新井白石・室鳩巣 (むろきゅうそう) ・雨森芳洲 (あめのもりほうしゅう) ・祇園南海 (ぎおんなんかい) らがいる。詩文集「錦里文集」など。
きのしたじゅんじ【木下順二】
[1914〜2006]劇作家。東京の生まれ。東大卒。「彦市ばなし」「夕鶴」などの民話劇と「山脈 (やまなみ) 」などのリアリズム演劇で、戦後の演劇界を代表する存在となる。演劇論・評論のほかシェークスピア作品の翻訳も多い。
出典:青空文庫
・・・僕は木下杢太郎君ではないから、何サンチメートルくらいな割合で、揺・・・ 芥川竜之介「MENSURA ZOILI」
・・・木下闇、その横径の中途に、空屋かと思う、廂の朽ちた、誰も居ない店・・・ 泉鏡花「伯爵の釵」
・・・坂部さんがいなければ木下さんへゆけってこかねい。坂部さんはどうし・・・ 伊藤左千夫「奈々子」
出典:gooニュース
なにわ虎男子 阪神D3位・木下里都に訪れた開眼の瞬間 福岡大・堀壮太監督「完封すると一気に花開くんじゃないかと思って」
福岡舞鶴高では主に遊撃手としてプレーしていた木下は、福岡大1年のときに投手への本格転向を決めた。堀監督が当時を振り返る。「ピッチャー転向は向こうから言ってきた。生き残るにはピッチャーだと思ったのかな」堀監督の監督就任と木下の入学は同じタイミング。反対する理由はなかった。ポテンシャルの一端は早くからのぞかせていた。
ドラゴンズの木下捕手、不審電話対策を披露 名古屋で街頭啓発に参加
中日ドラゴンズの木下拓哉捕手(33)も参加して街頭に立ち、年末の交通安全と防犯を市民に呼びかけた。 木下捕手のほか、林昌彦署長や広沢一郎市長、地元の栄学区連絡協議会と栄ミナミまちづくりの会のメンバーら約40人が参加。地下の広場であった開会式で、木下捕手は「不審な電話は番号を調べてからかけ直す」と自身の対策を語り、高齢者を狙うニセ電話詐欺に注意を促した。
中日・木下拓哉、来季は「注意力」で万全リード意気込む 街頭で特殊詐欺被害防止や交通安全を呼びかけ
中日の木下拓哉捕手(33)が、来年の春季沖縄キャンプのブルペンで「注意力」を発揮する。20日は名古屋市内で行われた名古屋市と愛知県警中署の合同年末キャンペーンに参加し、街頭で特殊詐欺被害防止や交通安全を呼びかけた。 知らない電話番号から電話がかかってきたら極力出ない。横断歩道を渡ろうとしている歩行者に気付く…。防犯や事故防止に大切な「注意力」は野球にも通じるところがある。
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