出典:gooニュース
硫黄島に大量に残る不発弾。板橋区とほぼ同じ広さの島へ米軍は約4万の砲弾を放ち、日本兵が抱えて突撃した爆発物も…処理担当の団員が口にした複雑な想いとは
北海道新聞記者・酒井聡平さんは、硫黄島関係部隊の兵士の孫。過去4回硫黄島に渡り、うち3回は遺骨収集ボランティアに参加しました。今回は、酒井さんの初の著書『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』から一部引用・再編集し、硫黄島に眠る謎に迫ります。* * * * * * * 3万8550発 僕が硫黄島に渡る前に、最も危惧していたのは不発弾だった。
硫黄島で「遺骨収集ボランティア」に参加した新聞記者が見た<首なし兵士>の衝撃。「大腿骨を持ったときのずしりとした感覚がしばらく消えなかった」
壕の入り口から海を見渡すと、硫黄列島の一つである「北硫黄島」が見えた。地図によると、約80キロ離れているとのことだが、肉眼で見ると格段に近く感じる。 硫黄島は、弾も水も食糧もない地獄の戦場だった。 ここからイカダで脱出を試みる兵士が相次いだ、との生還者の証言を思い出した。
なぜ硫黄島を巡る戦いは苛烈を極めたのか?島の陥落を境に、米軍の日本本土爆撃の成果は格段に上がり…
これを皮切りに硫黄島は、日本本土爆撃作戦で被弾・故障したB29の緊急着陸地となった。終戦までの着陸数は2000機を超えたとされる。 「硫黄島はB29の天国」。そう記された米側戦記もある。 玉砕間際の電報 占領後の硫黄島には、戦闘機P51が多数進出した。
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