あくにんしょうき【悪人正機】
阿弥陀仏あみだぶつの本願は、罪業ざいごうの深い悪人を救うことにあるとする説。他力を本願とする浄土真宗の親鸞しんらんの思想。▽「正機」は仏の教法を受けて、悟りを得る条件・資質を適切に備えていること。悪人こそが極楽に往生しうる者であるということ。
いちじふせつ【一字不説】
仏法の真理は奥深く、言葉で言い表すことはできないし、言葉を通して得られるものでもなく、自ら体得することによってのみ悟ることができるということ。釈迦しゃかが悟り得た境地を説くにも、直接実相を説き尽くすことはできず、真理は一字も説いていないという意から。▽仏教語。「不説一字ふせついちじ」ともいう。
いちねんほっき【一念発起】
それまでの考えを改め、あることを成し遂げようと決意し、熱心に励むこと。また、今までの気持ちを改めて仏道に入り、悟りを開こうと固く決心すること。▽もと仏教語。「一念」はひたすら思い込むこと。「一」はひたすらの意。
いったいぶんしん【一体分身】
一つの物事をもとにして、そこから分かれ出たいくつかの物事。一つのものからいくつかに分かれること。また仏教で、諸仏菩薩しょぶつぼさつが衆生しゅじょうを救うために、さまざまに化身して出現すること。▽後者は「いったいふんじん」とも読む。
いっちょうじきにゅう【一超直入】
すみやかに迷いを超越して、ただちに悟りの境地に達すること。ひとたび迷いを超越したら、回り道をせず、一足飛びにそのものの中に没入すること。▽仏教語。「直入」はただちに悟りに入ること。
きゃっかしょうこ【脚下照顧】
自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。
きょうげべつでん【教外別伝】
悟りは言葉や文字で伝えられるものではなく、直接心から心へと伝えるものであるということ。▽禅宗の語。「外」は「がい」とも読む。
くおんじつじょう【久遠実成】
仏語。法華経(ほけきょう)思想の一。釈迦仏がこの世に生まれたのは仮の姿にすぎず、永遠の昔に悟りを開き成仏して限りない時間を人々の教化に尽くしてきたと説くもの。久成正覚(くじょうしょうがく)。
けんしょうじょうぶつ【見性成仏】
本来もっている自分の本性・仏心を見きわめて悟ること。すべての人が本来的に仏であることが体感としてつかみうることをいう。▽仏教語。特に禅宗の語。「見性」は自己の本性を見きわめること。
こぼくかんがん【枯木寒巌】
世俗に超然とした悟りの境地のたとえ。枯れた木と冷たい岩の意から。仏教、特に禅宗で「枯木」「寒巌」を、情念を滅却した悟りの境域にたとえる。また、情味がなく冷淡で取っつきにくい態度・性質などのたとえに用いられることもある。▽「巌」はいわお。高く大きな石。「寒巌枯木かんがんこぼく」ともいう。