きゅうしゅぎょうぎ【鳩首凝議】
人々が集まり、額を寄せ合って熱心に相談すること。▽「鳩」は集める意。「鳩首」は頭を集めることで、人々が集まり額を突き合わせる意。「凝議」は熱心に議論すること。「凝」はこらす、集中する意。
きょおうじっき【虚往実帰】
師などから無形の感化や徳化を受けるたとえ。行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには充実して、十分に満足している意から。▽出典では、王駘おうたいという人物が教え諭すわけでも道理を論ずるわけでもないのに、教えを請う者は空っぽの心でそこに行き、帰りには得るところがあって十分満足しているといい、王駘は言葉には出さないが、自然に相手を感化する教えを心得た人物として描かれている。「虚往」は空っぽの頭で行くこと。「実帰」は充実して帰る、また、十分に満足して帰る意。「虚きょにして往ゆき実じつにして(実みちて)帰かえる」と訓読する。
ぎゅうきだしん【牛鬼蛇神】
妖怪や鬼神。もとは怪しげでとりとめがなく、幻のような作風・作品のたとえ。どうにも奇妙でしまりがないさま。また、邪よこしまなことをするさまざまな悪人のたとえ。さらに容貌ようぼうの醜いたとえとして用いられることもある。▽「牛鬼」は頭が牛の形をした鬼神・怪物のこと。転じて、容姿が醜いたとえ。「蛇神」は顔が人で身体が蛇の姿をした神。
こうとうせつじ【交頭接耳】
ひそひそ話をすること。内緒話のこと。▽「交頭」は頭を近づける、頭を寄せ合う意。「接耳」は口を耳に近づけて話すこと。「頭あたまを交まじえ耳みみを接せっす」と訓読する。
ごたいとうち【五体投地】
両肘ひじ両膝ひざと頭を地面につけて行う拝礼。全身を地に投げ伏してうやうやしく行う最高の拝礼。▽仏教語。「五体」は頭と両手・両足の意。全身。
さいきかんぱつ【才気煥発】
すぐれた才能が外にあふれ出ること。またそのさま。▽「才気」はすぐれた才能。すぐれた頭のはたらき。「煥発」は輝き現れるさま。「煥」は明らかなさま。輝き現れるさま。
さらそうじゅ【沙羅双樹】
釈迦しゃかが八十歳で入滅したとき、臥床がしょうの四方にあった二本ずつの沙羅の木。釈迦の入滅を悲しんで、二本のうち一本ずつが枯れたともいい、入滅とともにそれらが白く枯れ変じたともいう。▽「沙羅」は常緑高木。インド原産で、淡黄色の小さな花をつけ、幹は非常に長く伸びる。材質は堅固で建築用木材として適している。「沙」は「しゃ」とも読む。また、「沙」は「娑」とも書く。『平家物語へいけものがたり』の冒頭の句で有名。
しゅうがいけいちゅう【秀外恵中】
風姿が立派で美しく、内に高い知性を備えていること。▽「外」「中」は外形・内心の意。「秀」はひいでている、立派である意。「恵」は頭の働きのさといこと。「外そとに秀ひいで中なかに恵けいあり」と訓読する。
しゅうしゅそうめん【囚首喪面】
顔かたちを飾らないことのたとえ。囚人のように、梳とかし整えられていない髪と、喪中もちゅうの人が顔を洗わないように、汚れた顔の意から。▽「首」は頭。「面」は顔。
のうちゅうのきり【囊中之錐】
すぐれた才能をもつ人は、平凡な人々の中に混じっていても、やがては頭角を表すことのたとえ。