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豊臣秀吉が築城した初代“大坂城”の石垣、報道陣に公開 高さ約6メートル、来年4月に展示施設が開業
石垣を展示公開する新しい施設は「大阪城 豊臣石垣館」といい、来年4月1日に開業予定です。
「豊臣石垣館」来年4月オープン 地下に眠る秀吉の大坂城
大阪市は13日、豊臣秀吉が築き、地下に眠っていた石垣を見学できる「大阪城 豊臣石垣館」を来年4月1日にオープンすると発表した。同館は現在の天守閣の東南側にあり、石垣は豊臣期大坂城では「詰ノ丸」と呼ばれた区画に当たる。 同館は地上1階、地下1階で、石垣は地下の展示スペースにある。料金は大阪城天守閣の観覧料込みで、大人1200円、高大生600円、中学生以下は無料。
【速報】豊臣秀吉が築城「初代大坂城」石垣公開 来年4月展示施設オープン 約40年前水道工事で発見 高さ約6メートルの「野面積み」
約450年前に豊臣秀吉によって築城された“初代大坂城”の石垣の展示施設が整備され、一足早く展示スペースが報道陣にお披露目されました。 いまの大阪城の地下にあるのは高さ約6メートルの石垣で、約450年前、豊臣秀吉が大坂城を建てた頃のものです。
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とよとみひでつぐ【豊臣秀次】
[1568〜1595]安土桃山時代の武将。秀吉の甥 (おい) 。天正19年(1591)秀吉の養子となり、ついで関白となった。秀頼誕生後は秀吉の寵を失い、高野山に追放されて、自殺を命ぜられた。秀吉との関係悪化に伴い、凶暴な行為が多かったので、殺生関白とよばれた。
とよとみひでよし【豊臣秀吉】
[1536〜1598]安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、日吉丸。初名、木下藤吉郎。織田信長に仕え、戦功をたて、羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。
とよとみひでより【豊臣秀頼】
[1593〜1615]安土桃山時代の武将。秀吉の次男。6歳で家督を相続、前田利家に養育されたが、関ヶ原の戦いののち、摂津・河内 (かわち) ・和泉 (いずみ) 60余万石の大名におとされた。のち、徳川秀忠の娘千姫と結婚したが、大坂夏の陣で敗れ、母の淀君とともに自殺。
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