なんぎょうくぎょう【難行苦行】
さまざまな苦労・苦難にたえる修行のこと。転じて、ひどく苦労をすること。▽仏教語。「行」はもともと仏教の修行のこと。
にがびゃくどう【二河白道】
極楽浄土に往生したいと願う人の、入信から往生に至る道筋をたとえたもの。▽仏教語。「二河」は南の火の川と、北の水の川。火の川は怒り、水の川はむさぼる心の象徴。その間に一筋の白い道が通っているが、両側から水火が迫って危険である。しかし、後ろからも追っ手が迫っていて退けず、一心に白道を進むと、ついに浄土にたどりついたという話。煩悩にまみれた人でも、念仏一筋に努めれば、悟りの彼岸に至ることができることを説いている。
ねはんじゃくじょう【涅槃寂静】
煩悩ぼんのうをなくして、悟りの境地に到達すること。
ふりゅうもんじ【不立文字】
悟りは文字や言葉によることなく、修行を積んで、心から心へ伝えるものだということ。悟りは言葉で表せるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないということ。▽禅宗の基本的立場を示した語。「文字もんじを立たてず」と訓読する。
ほつぼだいしん【発菩提心】
仏教のことばで、悟りを開こうとする気持ちをもって、仏門に入ろうと決意すること。また、俗世間を離れ、出家や隠遁生活に入ること。
ぼんのうぼだい【煩悩菩提】
悟りの障害となる人間の迷いの煩悩も、そのまま悟りにつながるきっかけとなること。悟りも悟りの実現を妨げる煩悩も、永久不変の真如しんにょの現れであり、人間の本性であるから、本来別のものでなく、二つは一体であるということ。また、迷いがあって初めて悟りもあるという意。▽大乗仏教の言葉。「煩悩」は心身を悩ます欲情の心の働きの意。「菩提」は一切の迷いのない悟りに至る境地の意。「煩悩即そく菩提」の略。
まっぽうしそう【末法思想】
仏教における歴史観の一つ。釈迦しゃかの入滅にゅうめつ後、初めの五百年を正法しょうぼう、次の千年を像法ぞうぼう、そしてその後の一万年を末法まっぽうといい、末法の世には真の仏法が衰えて、世の中が混乱するという考え。各時期の長さには諸説がある。仏道修行者の危機意識を喚起するために説かれた。▽仏教語。
むみょうじょうや【無明長夜】
根本的な聡明そうめいさに欠けるため、衆生しゅじょうが煩悩にとらわれ、真理を得にくいこと。悟りの境地に達しないこと。このことを、明けることのない長い夜にたとえた。▽仏教語。「無明」は衆生を迷わせる煩悩があるために、物事の真理が見えず、仏道にくらいこと。「長夜」は長い間、長い時間にわたっての意。
めいごいちにょ【迷悟一如】
迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意。迷いも悟りも本来は同一のもので、たどりつくところは一つであるということ。▽仏教語。「一如」は一体であること。「如」は異ならないの意。
めんぺきくねん【面壁九年】
一つのことに忍耐強く専念して、やり遂げることのたとえ。長い間わき目もふらずに努力を続けることのたとえ。▽「面壁」は壁に向かって座禅を組むこと。「九年面壁くねんめんぺき」ともいう。