かちゅうぎひょう【夏虫疑氷】
見聞が狭いことのたとえ。見聞の狭い人は広い世界を理解しえないたとえ。見識の狭い人が自分の知らないことを信じようとしないこと。冬を知らない夏の虫は、冬に氷というものがあるのを信じない意から。▽見識や見聞が狭い人を卑しめていう語。「氷」は「冰」とも書く。一般に「夏虫かちゅう、氷こおりを疑うたがう」と訓読を用いる。
かんたんそうしょう【肝胆相照】
お互いに心の奥底までわかり合って、心から親しくつき合うこと。心の底まで打ち明け深く理解し合っていること。▽「肝胆」は肝臓と胆嚢たんのう。転じて、心の底、まごころ。また、肝臓と胆嚢が近くにあることから密接な関係のたとえ。一般に「肝胆かんたん相あい照てらす」と訓読を用いる。
かんぽうのまじわり【管鮑之交】
互いによく理解し合っていて、利害を超えた信頼の厚い友情のこと。きわめて親密な交際のこと。▽「管」は春秋時代、斉の名宰相の管仲。「鮑」は鮑叔牙ほうしゅくが。単に鮑叔ともいう。管仲と若いときから仲がよく、仲を斉の桓公かんこうに推挙した。「交」は「こう」とも読む。
がんめいころう【頑迷固陋】
頑固で視野が狭く、道理をわきまえないさま。また、自分の考えに固執して柔軟でなく、正しい判断ができないさま。頭が古くかたくななさま。▽「頑迷」はかたくなで道理に暗いこと。「固陋」はかたくなで見識が狭いこと。また、頑固で古いものに固執すること。「迷」は「冥」と書くこともある。
ききかいかい【奇奇怪怪】
常識では理解できない不思議なさま。非常に怪しく不思議なさま。▽「奇」「怪」をそれぞれ重ねて意味を強めたもの。「怪怪奇奇かいかいきき」ともいう。
きゃっかしょうこ【脚下照顧】
自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。
きゅうていたいりょ【九鼎大呂】
貴重な物や重要な地位や名声などのたとえ。▽「九鼎」は夏王朝の開祖禹王うおうが九つの州(中国全土)から献上させた銅で作った鼎かなえ。それ以来、天子の宝・象徴として伝えられた。「鼎」は三本足の釜かま。いけにえの調理具として、また祭器として用いられた。「大呂」は周王朝の大廟たいびょうに供えた大きな鐘のこと。ともにこのうえなく貴重なもののたとえ。
きょくがくあせい【曲学阿世】
学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。「阿世曲学あせいきょくがく」ともいう。
ぎゅうとうかっけい【牛刀割鶏】
取るに足りない小さなことを処理するのに、大げさな方法を用いるたとえ。小さな物事を裁くのに、大人物や大げさな方法・手段などは必要ないということ。また、それらを戒めた語。鶏をさばくのに牛を切る大きな包丁を用いる意から。▽「牛刀ぎゅうとうもて鶏にわとりを割さく」と訓読する。また「割鶏牛刀かっけいぎゅうとう」ともいう。
こうざんりゅうすい【高山流水】
すぐれて巧みな音楽、絶妙な演奏のたとえ。また、自分を理解してくれる真の友人のたとえ。清らかな自然の意に用いられることもある。▽「流水高山りゅうすいこうざん」ともいう。