いもんのぼう【倚門之望】
子の帰りを待ちわびる親の情のたとえ。子を思う親の愛情が切実なたとえ。特に母親の愛情についていう。門に寄りかかって望み待つ意から。▽「倚」は寄りかかる意。「望」は遠くを見やる意。
えいこせいすい【栄枯盛衰】
栄えることと衰えること。栄えたり衰えたりを繰り返す人の世のはかなさをいう。▽「栄枯」は草木が茂り盛んなことと枯れしぼむこと。転じて、人や家門などの繁栄や衰退をいう。
かいもんきょくろ【槐門棘路】
政界の最高幹部のたとえ。もとは、中国周代の三公と公卿こうけい(九卿きゅうけい)のことをいった。▽「槐門」は三公の別称。「槐」はえんじゅ。落葉高木。「棘路」は九卿の別称。公卿の地位のこと。「棘」はいばら。三公は臣下の最高位の三つの位。周代は太師・太傅たいふ太保をいう。九卿は九人の大臣。それぞれ時代によって異なる。
かいろこうり【薤露蒿里】
「薤露」「蒿里」は葬送のときにうたわれた挽歌ばんかの名。転じて、人の命のはかないことのたとえ。▽「薤露」は、にらの上におりた朝露の意。乾きやすく落ちやすいことから、人の命のはかなさのたとえ。「蒿里」はもと中国山東省の泰山の南にある山の名。人が死ぬとその魂がここに来るとされる。転じて、墓地の意。秦しん末の田横でんおうが漢の高祖劉邦りゅうほうに仕えるのを恥じて自殺したとき、悲しんだ門人が作ったという二編の楽府の詩に基づく。
きえさんぽう【帰依三宝】
仏門に入って教えに従うこと。仏教徒としての基本的条件。▽仏教語。「三宝」は仏と仏の教えとその教えを広める僧のこと。これを仏・法・僧という。「帰依」は仏の教えや有徳の高僧の威徳にすがって付き従うこと。「三宝さんぽうに帰依きえす」と訓読する。
きょじつひまく【虚実皮膜】
芸は実と虚の境の微妙なところにあること。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。江戸時代、近松門左衛門ちかまつもんざえもんが唱えたとされる芸術論。▽「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえ。「膜」は「にく」とも読む。
こんごうりきし【金剛力士】
《(梵)Vajra-pāṇiの訳》金剛杵(しょ)を持って仏法を守護する神。大力をもって悪魔を降伏(ごうぶく)する。寺門の左右に置かれる。門の向かって右を密迹(みっしゃく)金剛、左を那羅延(ならえ...
とうりまんもん【桃李満門】
桃やスモモが門に満ちあふれる意で、優秀な人材が一門に多く集まること。
ひゃっかそうめい【百家争鳴】
いろいろな立場にある人が自由に議論をたたかわせること。多くの学者や専門家が何の遠慮もなく、自由に自説を発表し、活発に論争し合うこと。中国共産党のスローガンの一つ。▽「百家」はたくさんの学者・専門家。「争鳴」は自由、活発に論争すること。
ほうかんげきたく【抱関撃柝】
門番や夜回りの意。低い役職の人のこと。▽「抱関」は門番のこと。「関」はかんぬきの意。「撃柝」は拍子木をたたいて夜回りをすること。「柝」は拍子木の意。