あんきょらくぎょう【安居楽業】
地位など、今いる環境や状況に心安らかに満足し、自分の仕事を楽しんですること。自分の分ぶんをわきまえて不満をもたず、心安らかに自分のなすべき仕事をすることをいう。また、転じて善政の行われていることのたとえ。世が治まり生活が安定して、みなそれぞれの仕事に励む意から。▽「居きょに安やすんじ、業ぎょうを楽たのしむ」「安居あんきょして業ぎょうを楽たのしむ」と訓読する。
きょじつひまく【虚実皮膜】
芸は実と虚の境の微妙なところにあること。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。江戸時代、近松門左衛門ちかまつもんざえもんが唱えたとされる芸術論。▽「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえ。「膜」は「にく」とも読む。
くせつじゅうねん【苦節十年】
長い間、苦労を耐え忍びながら、初心を守り通すこと。
しゅつりしょうじ【出離生死】
仏教のことばで、生死に捕らわれた迷いの境地から逃れ、悟りの境地に入ること。
しんとうめっきゃく【心頭滅却】
無念無想の境地に達すること。雑念を排して集中すれば、火の中でも涼しく感じるということ。困難な状況にあっても、超越した境地にあれば、苦しくないということ。
じゃくめついらく【寂滅為楽】
迷いの世界から離れた心安らかな悟りの境地が、楽しいものであるということ。▽仏教語。「寂滅」は煩悩の消え去った究極的な悟りの境地。
ちそくあんぶん【知足安分】
高望みをせず、自分の境遇に満足すること。▽「知足」は足ることを知る意。分ぶんをわきまえて欲をかかないこと。「安分」は自分の境遇・身分に満足すること。「足たるを知しり分ぶんに安やすんず」と訓読する。
ふりゅうもんじ【不立文字】
悟りは文字や言葉によることなく、修行を積んで、心から心へ伝えるものだということ。悟りは言葉で表せるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけないということ。▽禅宗の基本的立場を示した語。「文字もんじを立たてず」と訓読する。
ぼんのうぼだい【煩悩菩提】
悟りの障害となる人間の迷いの煩悩も、そのまま悟りにつながるきっかけとなること。悟りも悟りの実現を妨げる煩悩も、永久不変の真如しんにょの現れであり、人間の本性であるから、本来別のものでなく、二つは一体であるということ。また、迷いがあって初めて悟りもあるという意。▽大乗仏教の言葉。「煩悩」は心身を悩ます欲情の心の働きの意。「菩提」は一切の迷いのない悟りに至る境地の意。「煩悩即そく菩提」の略。
むねんむそう【無念無想】
一切の邪念から離れて、無我の境地に到達した状態。単に何も考えていないことを指すこともある。▽仏教語。「無念」は雑念を生じる心を捨て無我の境地に至ること。「無想」は心の働きがない意。「無想無念むそうむねん」ともいう。