きょおうじっき【虚往実帰】
師などから無形の感化や徳化を受けるたとえ。行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには充実して、十分に満足している意から。▽出典では、王駘おうたいという人物が教え諭すわけでも道理を論ずるわけでもないのに、教えを請う者は空っぽの心でそこに行き、帰りには得るところがあって十分満足しているといい、王駘は言葉には出さないが、自然に相手を感化する教えを心得た人物として描かれている。「虚往」は空っぽの頭で行くこと。「実帰」は充実して帰る、また、十分に満足して帰る意。「虚きょにして往ゆき実じつにして(実みちて)帰かえる」と訓読する。
きょきへいしん【虚気平心】
感情をなくして心を落ち着けること。心をむなしくして平静にすること。また、その心境。▽「虚気」は感情をなくして心をむなしくすること。「平心」は心を落ち着けること。「気きを虚むなしくして心こころを平たいらかにす」と訓読する。
きょきょじつじつ【虚虚実実】
互いに策略や手段を尽くして戦うこと。また、うそとまことを取り混ぜて、相手の腹を読み合うことにもいう。▽「虚」は守りの弱いところ、「実」は守りの堅いところ。実を避け虚をついて戦う意。「虚」「実」のそれぞれを重ねて、意味を強調した語。
きょしんたんかい【虚心坦懐】
心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。▽「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。
きょしんへいき【虚心平気】
[名・形動]「虚心坦懐(きょしんたんかい)」に同じ。「彼はその女のためにどんなことでも—にやってのけたに違いない」〈葉山・海に生くる人々〉
きょじつひまく【虚実皮膜】
芸は実と虚の境の微妙なところにあること。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論。江戸時代、近松門左衛門ちかまつもんざえもんが唱えたとされる芸術論。▽「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえ。「膜」は「にく」とも読む。
きょせいてんたん【虚静恬淡】
心静かでわだかまりがなく、さっぱりしているさま。もと道家の修養法の語。▽「虚静」は心に先入観やわだかまりがなく、静かで落ち着いていること。「恬淡」は欲がなく心にわだかまりがないこと。
きょどうけんきょう【虚堂懸鏡】
心をむなしくし、公平無私にものを見るたとえ。また、その心。人のいない部屋に鏡をかける意から。▽「虚堂」は人のいない部屋、何もない部屋。「懸鏡」は鏡をかけること。また、かけられた鏡。
きょれいふまい【虚霊不昧】
《朱熹「大学章句」から》天から授かった心の本体は空で、欲に曇ることなく、鏡のようにすべての物事を明らかに映すことができること。