出典:gooニュース
実は「将軍」として一度も江戸城に入ったことがない徳川慶喜、最後の将軍と江戸城の数奇な運命と結末
前編(徳川家康の居城は「江戸城」ではなかった?徳川政権が「江戸幕府」になった経緯と本当の居城)では徳川家康の居城が江戸城ではない話を紹介した。 江戸城に居なかったもう一人の徳川将軍は、第15代の慶喜である。正確にいうと、慶喜の居城は名目上は江戸城であったが、彼は「将軍」として江戸城に入ったことが一度もない。慶喜の生涯をたどってみよう。
徳川家康の居城は「江戸城」ではなかった?徳川政権が「江戸幕府」になった経緯と本当の居城
その幕府の本拠、つまり将軍の居城となってきたのが江戸城である……と、普通は認識されている(筆者もこれまでそういう書き方をしてきた)。 ところが、実は歴代15人の徳川将軍の中に、江戸城を居城としなかった者が2人いる。誰だか、わかりますか? 正解は、初代の家康と、最後(第15代)の慶喜だ。どういうことか、まずは御初代様から説明しよう。
江戸城の無血開城に貢献、宝刀「観世正宗」 抜刀術「鹿島神流」では真剣で演武、合気道も 話の肖像画 能楽二十六世観世宗家・観世清和<16>
名前の通りの伝家の宝刀だが、江戸城の無血開城に一役買ったという》実はわが家は、慶応4(1868)年4月11日の、江戸城の無血開城に貢献したのです。古来降伏の儀式は、敗者が太刀を勝者へ渡す決まりですから、官軍を率いる有栖川宮熾仁(たるひと)親王が江戸城に入り、徳川家の一番いい太刀を手に取ったところで「降参」が決まります。
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出典:青空文庫
・・・前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持・・・ 芥川竜之介「煙管」
・・・ついに成らざれば退て江戸城を守り、たとい一日にても家の運命を長くし・・・ 福沢諭吉「瘠我慢の説」
・・・雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋には、・・・ 森鴎外「護持院原の敵討」