あいえんきえん【合縁奇縁】
不思議なめぐり合わせの縁。人と人とが互いに気心が合うかどうかは、みな因縁いんねんという不思議な力によるものであるということ。人と人の結びつきについていうが、特に男女の間柄についていう。▽「合縁」はもと仏教語で、恩愛から起こる人と人の結びつきの意。「奇縁」は不思議なめぐり合わせの意。また、思いがけない不思議な縁の意。「愛縁機縁」「相縁機縁」とも書く。
えんがんこけい【燕頷虎頸】
遠国の諸侯となる人相のこと。また、勇ましく勢いがあり、堂々とした武者の容貌ようぼうのたとえ。燕つばめのような頷あごと虎とらのような頸くびをもち、飛んで肉を食らうという人相ということから。▽「頷」はあご。「燕頷」は武勇にすぐれた人の骨相こっそうをいう。「頸」は首のこと。「虎頸」は太くいかつい首の意。
かんこつだったい【換骨奪胎】
古人の詩文の表現や発想などを基にしながら、これに創意を加えて、自分独自の作品とすること。他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと。骨を取り換え胎盤を奪い取って、自分のものとする意から。▽もと、「換骨」は凡骨を取り去って仙骨に取り替える、「奪胎」は胎盤を奪い生まれ変わらせる意で、修練をして根本から仙人に生まれ変わることをいう道家の語。転じて、詩文の創作法として「換骨」は、古人の詩文の意味を変えないで字句を変えること。「奪胎」は古人の詩文の内容・主意を取って作りかえること。今では、他人の作品の一部を作りかえて、新しいもののように見せかける意に用いられることもある。「奪胎換骨だったいかんこつ」ともいい、「奪」は「脱」とも書く。「骨ほねを換かえ胎たいを奪うばう」と訓読する。
こうさいらくか【幸災楽禍】
他人の不幸を喜ぶこと。人の災いを幸いとして喜び、災いを楽しむ意から。▽「幸災」は人の災難を幸福として喜ぶこと。「楽禍」は災いを招くことを楽しむこと。ここでは他人の災いを見て楽しむこと。「災わざわいを幸さいわいとし禍わざわいを楽たのしむ」と訓読する。「楽禍幸災らくかこうさい」ともいう。
さつげんかんしき【察言観色】
人の言葉をよく察し、顔つきをよく観察してあざむかれず、人の性質や考え方を見抜くこと。また、人の言葉をよく聞き分け、人の顔色を見抜く聡明そうめいさをいう。▽「言」は言葉。「色」は顔つき・顔色。「言げんを察さっして色いろを観みる」と訓読する。
せいちあんこう【生知安行】
生まれながらにして人の踏み行うべき道をよく知り、考えることなく心のままにそれを行うこと。聖人の境地。▽「生知」は学ばなくても生まれながらに人の道を知ること。「安行」は心のままに行うこと。何の努力もなしに人の道を行う意。
せどうじんしん【世道人心】
世の中の道徳と人の心。世の中の道徳とそれを守るべき人の心のこと。▽「世道」は人として守るべき道徳、社会道徳のこと。「人心」は人々の心。
せんせいせんし【先聖先師】
孔子とその高弟顔回のこと。また、孔子の尊称。さらに孔子の理想とした政治家周公と孔子のこと。▽「先聖」は昔の聖人。「先師」は聖人の教えを広めるのに大功のあった人。また、師として仰ぎ学ぶべき昔の賢人。古代の中国では、学校を建てると先聖と先師を祭る決まりになっていた。先聖・先師をだれと見なすかは、時代によって異なる。わが国では、孔子を先聖、顔回を先師の筆頭として祭ったことから、孔子と顔回の意味で解釈する。
てれんてくだ【手練手管】
思うままに人を操りだます方法や技術のこと。あの手この手と、巧みに人をだます手段や方法。▽「手練」「手管」は、ともに人をだます手段や技術のこと。同義語を重ねて強調した言葉。もとは遊女が客をだます手段をいう語。
ふわらいどう【付和雷同】
自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。▽「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。